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書評:コンピュータが連れてきた子どもたち
佐世保のNEVADA事件を皮切りに、子供とコンピュータやネットの関わりを考える。


まずIT教育の可能性に対する懐疑論から始まる。よくある(という印象は、ネットユーザーが考えてしまいそうなステレオタイプという気がするが)古いタイプの反ITの主張かと思ったらそれだけに留まらない。要約すると「小さいうちからデジタル漬けにするのは子供の可能性をせばめるよ、上手に使いこなそう」といったところ。

教育の現場には新しい技術や考えが次々に登場しているが、学校のシステム自体が旧態依然としてるからひずみが起こる、という。現在の教育の目標は、近い将来に現れる(例えば鉄腕アトムのような)「ロボット」に張り合えない能力を育てることにあるが、かといって人間の持ち味たる創造性の教育というのは非常に難しい、という「アトムのジレンマ」のは現場感覚があると思った。

ブログ主の考えだが、そもそも基礎教育とは、平凡な子供の能力を底上げして、とりあえずの一人前に仕立てるのが目的で、それ以上のもの、例えば秘められた子供の才能を開花させるような仕事は大いに手に余るものだと思っている。教育があくまで凡人のためのものである以上、教師も凡人で務まるような仕事でなければ需要を満たせるはずがない(この本とは関係ないが、基礎教育の本質を理解せずに必要以上のものを求めることのひずみが年々大きくなってると思う)。

しかしコンピュータを使いこなせば、その困難な仕事の手助けになるかも知れない。本の中では1980年代中頃の、日本最初期のコンピュータ教育の例が紹介されている。ロゴライターによる簡易プログラミングの授業で、自分も10年ほど遅れてはいたが同じ経験をしたので興味深く読んだ。その授業を経験した元児童が、11年後に(その間コンピュータにはほとんど触れていなかったのに)当時の授業内容を鮮明に覚えていたことを、機械を自らの一部として使いこなせた、IT教育の成功例として紹介している。彼らにとってのPCは、モーツァルトのピアノやアインシュタインの磁石のように、才能を開くきっかけになるかも知れない。

子供と教育とITの関係は、恐らくまだまだ試行錯誤が続く段階にあるだろう。その過程では痛ましい犠牲もあるだろう。しかし理想を目指して走っている先生や技術者がいる。がんばれ、超がんばれ。

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