たぶん最終回。
前回は1999年だが、今回は3年飛んで2002年の話となる。1999年は自宅でのインターネット開通・高校進学・金銀発売など大規模なイベントがあったのだが、翌年と翌々年は特に大きな変化はなく、1999年の延長線上に過ぎないので特筆することがあまりない。同様に、この記事も2002年というタイトルだが、実際は2006年くらいまでの話になる。
3年間の高校生活を終え、無事に都内の大学に進学する。今でこそ各地の大学にポケモンサークルが存在するようだが、当時はまずなかったと思う(テレビゲーム系のサークルがある大学なら当時からあったはずだ)。大学でポケモンの話をした覚えはほとんどない(たしか、教授のお子さん繋がりで少し話したくらい)。
ここで重要なのは、定期券によって都内に行き放題になったことである。確か東京駅で行われていた『ルビー・サファイア』の体験イベントへの参加が、自分の中で初めてのポケモン公式イベントへの参加であった(といっても試遊台を勝手に遊ぶだけだったと思うが)。また、これと前後して初めて「オンラインで知り合った人と直接会う」という経験もした。この時点ではオフ会なんて大層なものではなく、ちょっとした顔合わせ程度だったのだが。
大学進学を機に携帯電話を持つようになった。もっとも、高校時代には既に携帯電話は完全に普及していた。特に、3年生になってからは高校のクラスや部活で持っていないのは僕だけとかそういうレベルであった。中学生の弟でさえ持っていたのだが、僕は「携帯電話に振り回されるのが嫌で敢えて持たない」という縛りプレイめいたことをしていた(おかげで多方面に迷惑をかけたと思う)。
さすがに大学生ともなるとそれも通用しないので渋々(?)持つようになった。そしてこの年の5月にモバイルシステムGBのサービス終了が発表された。そういえばそんなのがあったな、今なら携帯を持っているからプレイできるんだ。せっかくだからやってみよう!と思った。新規入会は同月末なので、駆け込みでモバイルアダプタGBを購入(既に販売終了していたので中古で探す)して契約した。
このときに作ったコンテンツが「モバイルの窓」である。作ったきっかけは、モバイルによるサービスの詳細がどこにも載っていなかったので自分で書き残そうと思ったため。モバイルを利用していたプレイヤーはそれなりにいたのだが、その内容を詳細に記録していたのは当時から僕くらいであった。2002年の6月からわずか半年分(セレビィ配布などのおいしい要素は含まれない)とはいえ、ニュースのテキストを全文保存していたり、バトルタワーの挑戦記を残しておいた自分を褒めてあげたい。かけるのページのコンテンツの中では、ポケモン文化史において特に貴重な資料のはずである。
前作までと通信互換性がないことが早期に発表されていたので、当初は買うのに躊躇していたのだが、後述するオフ会をきっかけに買うこと(及び対戦で勝つためにプレイすること)を決意。本作に関しては既に「ルビー・サファイアという時代」という記事でたっぷり語っているので、ここでは多くは語らない。以下で述べるオフ会も含めて、人生において最も大きな影響を与えたゲームソフトと言っても過言ではない。単独でプレイするゲームとしては、やっぱり初代が一番なのだが、それとはまた別の形として自分の中で特別な意味を持つゲームである。
東京に気軽に出られるようになったので、各地のオフ会にも参加するようになった。最初に参加したのは「ポケモンぱーふぇくと攻略」(以下「ぽけぱー」)で募集していた「池袋ラーメンオフ」だったと思う。時期はルビー・サファイア発売の少し前くらいだったろうか。主催はミューラさん(界隈の兄貴分のような存在で、以降何度もお世話になった)で、池袋でラーメンを食べたら東京のポケモンセンターに移動、お茶でもしながら通信プレイを楽しむとか、そういうイベントだったはずである。ラーメンの味は覚えていないが、2000カップのルールで55ラッタを使いこなしていたミューラさんが格好良かったのは覚えている。かけるのページ開設初期の頃に掲示板に書き込んでくれたソニックさんともこのオフ会で初めて対面し、以後親交を深める(すっかりご無沙汰であるが、バイオリンの先生になられたようで何よりだ)。
ポケぱー掲示板ではこの手の小規模オフがたびたび開催されており、他にも「津田沼のフードコートでポロックを作るオフ」などに参加した覚えがある。この掲示板繋がりだったか否か忘れたが、ポケモンセンタートウキョウでたまたま出会った(それまでネット上でさえ関わったことがなかった)サトピカ君には、当時小学生ながら東京の歩き方を教えてもらった(以前書いたネットカフェの記事にも登場している)。後に「木の実大図鑑」の雛形を作り、GBA版攻略における「かけるのページ」の方向性(木の実・ポロック関連をどこよりも充実させる)を決定づけた功労者でもある。今でも名物コンテンツとして親しまれているのは彼のおかげである。
大規模オフ会では烏賊オフ(いかれっこさん・シグルドさん一家)、及びその後進のあんぐらオフにもよく参加した。2002年11月3日に開かれた烏賊オフは対戦イベントの初参加であり、11人総当りで1勝10敗で最下位という不名誉な結果を残した。それでも対戦自体はとても面白く、次回以降も参加するために『ルビー・サファイア』の購入を決意した(前作との互換性がないことが発表されたので買う気がしなくなっていた)。
新作である『ルビー・サファイア』は通信プレイを前作よりもさらに重視した作りだったので、必然的に人と会う機会が求められた。ゆえに参加したオフ会は非常に多い。前述のあんぐらオフの他にも、なっとオフ(ケビンくん・ツヨポンさん)、エネコオフ(リュカさん)あたりはほぼ毎回参加していたと思う。自分自身でも「かけるオフ」を何度か主催している。当時は今よりもオフ会(ここでは公民館の一室を貸し切る程度のレベル)というのは気軽に開かれていたような気がする。サイトを持ってるならオフ会くらい開いて当たり前という勢いがあった。
あんぐらオフは対戦も楽しかった。明確な意図を持ってパーティや戦術を組んでいる方が多く、対戦後の感想戦も盛り上がったものである。参加者には公式大会経験者も多く、貴重なお話を聞かせていただくことも多かった。また二次会も楽しかった。大勢での飲み食いはもとより、「ポケモン留置所」と称して主催者であるシグルド様の事務所で朝まで遊んだり語り合ったりした。翌日も予定がなければ一日中遊んだものだ。
魔法のiらんど系の人脈であるケビンくんの一派が主催するのはカジュアルなイベントが多かった。コンテストも盛んであり、かけるのページの名物ッコンテンツである「ポロック大百科」についてもケビンくん達の協力が非常に大きい。エネコオフは発祥としてはiらんど住人の影響が強い(ただし主催のリュカさん本人は違ったはず)のだが、イベントとしてはコンテストに特化しており独自色が強く、参加者にも女性が多いという華やかなイベントだった。
ケビンくん(これ自体がハンドルネームである上、ご本人が「"ケビンくんさん"はやめてね」と常々言っておられたので、年上ではあるがこの表記で通す)にはオフ会以外でもお世話になった。何度か部屋に泊まりに行った覚えすらあり、お互いにプライベートな相談に乗ったりもした。東京を引き払う際には部屋の片付けを手伝い、エメラルドカードe+のフルコンプセットを始めとする貴重なコレクションを分けていただいた。
大阪まで遠征したこともある。関西ポケモンオフの中心的人物であった海流図さんのオフである。前述のミューラさんに、18きっぷによる電車の乗り継ぎから宿泊場所(某有名トレーナーの自宅!)まで手配してもらったので格安で大阪旅行ができた。東京のほうでは各地の猛者を迎える立場でもあり、前述の海流図さん(大阪)をはじめ、スタきょうさん(札幌)、ふさこんさん(福岡)といった全国の方々と夜を徹して語り合うのは本当に楽しかった。
2005年には前述のリュカさんの縁で「P:CON」という100人以上が参加する大規模オフ会にも運営側として関わったりした。こちらはポケモンカード系の人脈で、今まで自分が参加したオフ会とはまた別の雰囲気があった。ビデオゲームと異なり、まず対面しないとプレイすらできないカードゲーム界隈特有の人付き合いの濃さは、正直今でも(ポケモンに限らず)苦手意識があるのだが貴重な経験だった。
4年間の大学生活はまさにオフ会とともにあったと言っても過言ではない。間違いなく青春そのものである。しかし自分と同世代の人が同時期に卒業その他で環境が変わったことや、2006年に発売された『ダイヤモンド・パール』が今ひとつ好きになれなかったこともあり、自分の中でのポケモン熱(もはや「オフ会熱」だったかも知れないが)は急速に冷めていった。それでもサイト自体は今まで通り(オフ会に参加するずっと前からあったので)マイペースに続けて、当時のゲーム機(セーブデータ)なども大事に持ち続けて現在に至る。ポケモンに関しては第七世代で久しぶりに本編をまともにプレイしたが、現在はSwitch本体すら持っていない。
ここで名前を挙げた方々のほとんどは、今となってはご無沙汰どころか連絡先すらわからない。いつか同窓会的なイベント(別にゲームをやったりしなくてもいい)が行われて、そこでお会いできたらとても嬉しい。この願いは2016年以降のヒストリアカップ(主催のゴールドさんとは過去にあんぐらオフでお会いしたこともある)で叶えられた部分もあるが、あくまでも一部である。いっそ僕自身が再び「かけるオフ」を主催してもいいのだが、果たして人が来るだろうか。実際に声が集まったら本気で考えることにしよう。
大学進学
3年間の高校生活を終え、無事に都内の大学に進学する。今でこそ各地の大学にポケモンサークルが存在するようだが、当時はまずなかったと思う(テレビゲーム系のサークルがある大学なら当時からあったはずだ)。大学でポケモンの話をした覚えはほとんどない(たしか、教授のお子さん繋がりで少し話したくらい)。
ここで重要なのは、定期券によって都内に行き放題になったことである。確か東京駅で行われていた『ルビー・サファイア』の体験イベントへの参加が、自分の中で初めてのポケモン公式イベントへの参加であった(といっても試遊台を勝手に遊ぶだけだったと思うが)。また、これと前後して初めて「オンラインで知り合った人と直接会う」という経験もした。この時点ではオフ会なんて大層なものではなく、ちょっとした顔合わせ程度だったのだが。
モバイルシステムGB
大学進学を機に携帯電話を持つようになった。もっとも、高校時代には既に携帯電話は完全に普及していた。特に、3年生になってからは高校のクラスや部活で持っていないのは僕だけとかそういうレベルであった。中学生の弟でさえ持っていたのだが、僕は「携帯電話に振り回されるのが嫌で敢えて持たない」という縛りプレイめいたことをしていた(おかげで多方面に迷惑をかけたと思う)。
さすがに大学生ともなるとそれも通用しないので渋々(?)持つようになった。そしてこの年の5月にモバイルシステムGBのサービス終了が発表された。そういえばそんなのがあったな、今なら携帯を持っているからプレイできるんだ。せっかくだからやってみよう!と思った。新規入会は同月末なので、駆け込みでモバイルアダプタGBを購入(既に販売終了していたので中古で探す)して契約した。
このときに作ったコンテンツが「モバイルの窓」である。作ったきっかけは、モバイルによるサービスの詳細がどこにも載っていなかったので自分で書き残そうと思ったため。モバイルを利用していたプレイヤーはそれなりにいたのだが、その内容を詳細に記録していたのは当時から僕くらいであった。2002年の6月からわずか半年分(セレビィ配布などのおいしい要素は含まれない)とはいえ、ニュースのテキストを全文保存していたり、バトルタワーの挑戦記を残しておいた自分を褒めてあげたい。かけるのページのコンテンツの中では、ポケモン文化史において特に貴重な資料のはずである。
ルビー・サファイア
前作までと通信互換性がないことが早期に発表されていたので、当初は買うのに躊躇していたのだが、後述するオフ会をきっかけに買うこと(及び対戦で勝つためにプレイすること)を決意。本作に関しては既に「ルビー・サファイアという時代」という記事でたっぷり語っているので、ここでは多くは語らない。以下で述べるオフ会も含めて、人生において最も大きな影響を与えたゲームソフトと言っても過言ではない。単独でプレイするゲームとしては、やっぱり初代が一番なのだが、それとはまた別の形として自分の中で特別な意味を持つゲームである。
オフ会の思い出と、お世話になった方々
東京に気軽に出られるようになったので、各地のオフ会にも参加するようになった。最初に参加したのは「ポケモンぱーふぇくと攻略」(以下「ぽけぱー」)で募集していた「池袋ラーメンオフ」だったと思う。時期はルビー・サファイア発売の少し前くらいだったろうか。主催はミューラさん(界隈の兄貴分のような存在で、以降何度もお世話になった)で、池袋でラーメンを食べたら東京のポケモンセンターに移動、お茶でもしながら通信プレイを楽しむとか、そういうイベントだったはずである。ラーメンの味は覚えていないが、2000カップのルールで55ラッタを使いこなしていたミューラさんが格好良かったのは覚えている。かけるのページ開設初期の頃に掲示板に書き込んでくれたソニックさんともこのオフ会で初めて対面し、以後親交を深める(すっかりご無沙汰であるが、バイオリンの先生になられたようで何よりだ)。
ポケぱー掲示板ではこの手の小規模オフがたびたび開催されており、他にも「津田沼のフードコートでポロックを作るオフ」などに参加した覚えがある。この掲示板繋がりだったか否か忘れたが、ポケモンセンタートウキョウでたまたま出会った(それまでネット上でさえ関わったことがなかった)サトピカ君には、当時小学生ながら東京の歩き方を教えてもらった(以前書いたネットカフェの記事にも登場している)。後に「木の実大図鑑」の雛形を作り、GBA版攻略における「かけるのページ」の方向性(木の実・ポロック関連をどこよりも充実させる)を決定づけた功労者でもある。今でも名物コンテンツとして親しまれているのは彼のおかげである。
大規模オフ会では烏賊オフ(いかれっこさん・シグルドさん一家)、及びその後進のあんぐらオフにもよく参加した。2002年11月3日に開かれた烏賊オフは対戦イベントの初参加であり、11人総当りで1勝10敗で最下位という不名誉な結果を残した。それでも対戦自体はとても面白く、次回以降も参加するために『ルビー・サファイア』の購入を決意した(前作との互換性がないことが発表されたので買う気がしなくなっていた)。
新作である『ルビー・サファイア』は通信プレイを前作よりもさらに重視した作りだったので、必然的に人と会う機会が求められた。ゆえに参加したオフ会は非常に多い。前述のあんぐらオフの他にも、なっとオフ(ケビンくん・ツヨポンさん)、エネコオフ(リュカさん)あたりはほぼ毎回参加していたと思う。自分自身でも「かけるオフ」を何度か主催している。当時は今よりもオフ会(ここでは公民館の一室を貸し切る程度のレベル)というのは気軽に開かれていたような気がする。サイトを持ってるならオフ会くらい開いて当たり前という勢いがあった。
あんぐらオフは対戦も楽しかった。明確な意図を持ってパーティや戦術を組んでいる方が多く、対戦後の感想戦も盛り上がったものである。参加者には公式大会経験者も多く、貴重なお話を聞かせていただくことも多かった。また二次会も楽しかった。大勢での飲み食いはもとより、「ポケモン留置所」と称して主催者であるシグルド様の事務所で朝まで遊んだり語り合ったりした。翌日も予定がなければ一日中遊んだものだ。
魔法のiらんど系の人脈であるケビンくんの一派が主催するのはカジュアルなイベントが多かった。コンテストも盛んであり、かけるのページの名物ッコンテンツである「ポロック大百科」についてもケビンくん達の協力が非常に大きい。エネコオフは発祥としてはiらんど住人の影響が強い(ただし主催のリュカさん本人は違ったはず)のだが、イベントとしてはコンテストに特化しており独自色が強く、参加者にも女性が多いという華やかなイベントだった。
ケビンくん(これ自体がハンドルネームである上、ご本人が「"ケビンくんさん"はやめてね」と常々言っておられたので、年上ではあるがこの表記で通す)にはオフ会以外でもお世話になった。何度か部屋に泊まりに行った覚えすらあり、お互いにプライベートな相談に乗ったりもした。東京を引き払う際には部屋の片付けを手伝い、エメラルドカードe+のフルコンプセットを始めとする貴重なコレクションを分けていただいた。
大阪まで遠征したこともある。関西ポケモンオフの中心的人物であった海流図さんのオフである。前述のミューラさんに、18きっぷによる電車の乗り継ぎから宿泊場所(某有名トレーナーの自宅!)まで手配してもらったので格安で大阪旅行ができた。東京のほうでは各地の猛者を迎える立場でもあり、前述の海流図さん(大阪)をはじめ、スタきょうさん(札幌)、ふさこんさん(福岡)といった全国の方々と夜を徹して語り合うのは本当に楽しかった。
2005年には前述のリュカさんの縁で「P:CON」という100人以上が参加する大規模オフ会にも運営側として関わったりした。こちらはポケモンカード系の人脈で、今まで自分が参加したオフ会とはまた別の雰囲気があった。ビデオゲームと異なり、まず対面しないとプレイすらできないカードゲーム界隈特有の人付き合いの濃さは、正直今でも(ポケモンに限らず)苦手意識があるのだが貴重な経験だった。
4年間の大学生活はまさにオフ会とともにあったと言っても過言ではない。間違いなく青春そのものである。しかし自分と同世代の人が同時期に卒業その他で環境が変わったことや、2006年に発売された『ダイヤモンド・パール』が今ひとつ好きになれなかったこともあり、自分の中でのポケモン熱(もはや「オフ会熱」だったかも知れないが)は急速に冷めていった。それでもサイト自体は今まで通り(オフ会に参加するずっと前からあったので)マイペースに続けて、当時のゲーム機(セーブデータ)なども大事に持ち続けて現在に至る。ポケモンに関しては第七世代で久しぶりに本編をまともにプレイしたが、現在はSwitch本体すら持っていない。
ここで名前を挙げた方々のほとんどは、今となってはご無沙汰どころか連絡先すらわからない。いつか同窓会的なイベント(別にゲームをやったりしなくてもいい)が行われて、そこでお会いできたらとても嬉しい。この願いは2016年以降のヒストリアカップ(主催のゴールドさんとは過去にあんぐらオフでお会いしたこともある)で叶えられた部分もあるが、あくまでも一部である。いっそ僕自身が再び「かけるオフ」を主催してもいいのだが、果たして人が来るだろうか。実際に声が集まったら本気で考えることにしよう。
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