前回からの続き。今回は時系列よりも内容別の語りとなる。
アニメ版の放送開始
昨年末に発表されたアニメ版が4月から放送を開始する。ゲーム原作のアニメと言えば劇場版になる(世代的には『ストリートファイター』が記憶に残る)ことはあっても、連続テレビシリーズとなるのは(少なくとも愛着を持ってプレイしていた作品のアニメ化としては)初めての経験だった。一体どのような出来になるのだろう?期待と不安が入り交じる。
結論からいえばあまり好きになれなかった。無謀で無能な主人公(創作一般においてそれ自体は問題ではないのだが、ゲームの映像化作品なのでどうしてもプレイヤーと重ねてしまう)、妙に人間臭くて生物感のないポケモンたち(人間の言うことを完全に理解している上で反抗しているピカチュウ、第31話のディグダ回などで種族を超えた共通の思想のもとで行動するポケモン達など)、尺稼ぎのための繰り返し(ロケット団の口上もそうだが、後になると「勝手に出てくるカスミのコダック」「とりあえずコジロウを食おうとするウツボット」のように、うんざりするほど同じネタが出てくる)など、受け入れ難かった部分を上げればきりがない。見れば見るほど嫌いになっていったような気がする。
それでも毎週録画(塾に通っていたのでリアルタイムでは基本的に見れなかった)していたのだが、スペシャル回で録画を失敗(放送時間が拡張したのにいつもどおりに予約してしまった)して以降はすっかり情熱が薄れてしまった。所詮子供向けのアニメで自分は対象ではないと思うようになった。例の事件のときも翌朝の新聞を読むまで全く気づかなかった(余談だが僕は光の点滅には弱いので、もしテレビ画面で見ていたら何らかの症状が発生していた可能性が高いと思う)。
以降は劇場版のテレビ放送だとか、オレンジ諸島編や金銀編になってから(たまたまその時間に家にいることが増えたので)少し見たくらいである。当時は意識的に反発していた部分もあるのだが、大人になった今なら冷静に見られるかも知れないと思い、数年前にAmazonプライムで無印シリーズを通して見直そうと思ったのだが、途中で飽きてしまって現在に至る。自分にとっては未だに見る価値のないアニメのようだ。もう少し齢を重ねれば楽しめるようになるのだろうか。
なお大人になってからの話だが、僕がポケモン好きだと多少なりとも知っている同期などと久しぶりに会ってカラオケに行った時、『ポケモンいえるかな?』を歌えることを期待されるものの、CMで流れていた「クサイハナ」までしか歌えないのでがっかりされたという経験が何度かある。
公式大会について
この年は、後に「ニンテンドウカップ97」と呼ばれることになる最初の大会が開催された年でもある。ただし、当時ゲームのほうを積極的にプレイしていたが、大会に参加する気はまったくなかったので応募すらしていない。まず場所の問題があり(ただし今思えば幕張メッセまで片道1時間というのは恵まれていたと思う)、年齢的な意味でも対象外だと思った(実際には、むしろ僕より年上の人も少なくなかったのだが)。何よりもレベル制限のあるルールに強い違和感があった。今まで攻略本などで(上限である)レベル100まで育てることを煽っておいてそれはないだろう、今さら育て直しかよと思ったものだ。
そういうわけで、大会そのものはもちろん、大会ルールに適合するポケモンを育てたり、まして対人戦をする機会はなかった。翌年に発売された『ポケモンスタジアム』用に何匹か育てたものの、このルールでまともに対人戦を行ったのは、遥か19年後に行われた個人オフ会のヒストリアカップが最初である。
テレビ東京の『64マリオスタジアム』は時々見ており、当然公式ルールでのポケモンバトルも見ていたのだが、登場するポケモンがあまり代わり映えしなくて飽きてしまった。今になって見返すと、技選びやら入れ替えのタイミングなど、確実にテクニックが進歩していることがわかって面白い部分はあるのだが。
ポケモンの育成
前述のように公式大会にはさして興味もなかったのだが、ポケモンを強く育てることや、対戦で勝つことに関しては興味があった。この年になると各社から攻略本が大量に出版されるようになった。詳しくはサイトのほうにまとめたが、バージョン違いを同一としてカウントしても97年中に8社から22冊も出ている。
それらの本を適当に買ったり、あるいは店頭や友人宅などで読んだりして情報を収集する。この時点では、いわゆる「努力値」に触れたような解説はまだ無い(当時の攻略本における育成情報についてはブログ記事参照)のだが、様々な情報をまとめる中で「レベルアップの回数」が重要ではないかという結論に至った。つまり「なるべく低いレベルから育てる」「一度に大量の経験値を入れない(2レベル以上同時に上げない)」「育て屋でのレベルアップは通常とは別扱いなので利用しない」などである。本当に大事なのは戦闘回数(より多くの努力値を入れる)であることは自力では全く気づけなかった。
この頃の対戦相手といえば主に弟。同級生は部活仲間(後輩含む)の一部を除くと、関心を失ったというか別のゲームを遊ぶことが多くなった気がする。基本的にレベル無制限なのだが、Lv100が揃っていなかったので何となく合わせる程度、同じポケモンは1匹まででミュウツーは禁止というルールだった気がする。この頃のお気に入りポケモンはダグトリオ。ケンタロスやスターミーが強いというのはテレビ番組の影響でわかっていたが、あまりにも万能すぎて面白くないと思っていた。ダグトリオくらいに長所と短所がはっきりしているほうが使っていて面白い。勝率よりもやりたいことを優先するというスタイルは現在でも(他のゲームであっても)変わっていない。
インターネットとの出会い
ポケモンとは直接関係がないのだが、以降に大きな影響を与えた出来事。当時、個人経営(看板はフランチャイズ)の塾に通っていたのだが、悪い先輩(褒め言葉)がオーナーを言いくるめて塾の名義でインターネット回線を契約した(パソコンは成績管理などのために元から置いてあった)。僕が初めてインターネットに触れたのはこのときである。
インターネットやホームページという概念は何となく知っていた。広告の隅っこや、テレビ番組の最後に流れるアドレスを入力すると商品カタログや番組解説が出てくるようなものだという理解であった。しかし実際にやってみると、活発なのは企業などではなく個人による情報のやり取りであることを知った。
さっそくYahooに「ポケモン」と入力してみる(当時はいわゆる検索エンジンというものが存在せず、Yahooに登録してあるサイトの中からキーワードを含むものを抽出するという方式だった)。すると多数のサイトが引っかかった。任天堂やゲームフリークといった公式を除けばすべて個人のサイトで、中には小学生が作ったという紹介もあった。とりわけピックアップされていたのは、ひめにゃーす氏による当時の最大手個人サイトである「ポケモンだいすきクラブ」である。当時はまだ独自ドメインではなくMacCentralに置いてあった。
そこにあるのは、主に読者からの投稿による膨大な情報。中には話にならないネタ(特定の手順を踏むと隠しマップ「アジア村」に行けるとか…発売から1年以上も経つゲームでそれほどの要素を隠したままにするわけないだろ!)に多数の人が釣られているような残念な部分もあったのだが、ポケモンというコンテンツがこれほど多くの人を動かしていたというのを生で実感して感動した。同時にインターネットの面白さというのがすぐに理解できた。
個人サイトだけでなく公式サイトもチェックした。ゲームフリークでは「ポケモンジャーナル」という、開発資料などを期間限定で蔵出し公開するコンテンツがあった。たまたま僕が見た時は、「カサナギー」やら「ニョースカ」やらの没ポケモンが紹介されていたので、これは面白いと思って印刷して持ち帰った。実は公開されていた期間はごく短かったらしく、後にこの資料は非常に貴重なものとなる(ネット上に出回っている上記ポケモンの情報は、僕がこのとき印刷した資料から数年後にスキャンしてアップロードしたものである。客観的なソースを示せないのに信用されたのが嬉しいと思う反面、仮に捏造した資料を出してもそれが拡散してしまったのだろうと考えると恐ろしくもある)。
塾でインターネットが使えた期間はごく短かったのだが、その影響は大きかった。ところで強引に回線契約してしまった悪い先輩は部活の先輩でもあり、ネット回線の契約だけでなく中学生でありながら塾講師のバイトをする(これ、本部の規約に絶対引っかかる気がするのだが)など謎の行動力に溢れていた。卒業後は音沙汰がなくなってしまった(少し後の時代なら携帯電話で連絡先を交換しておいたのだろうが)のだが、風の便りで中学の技術科の先生になったと聞く。今もお元気だろうか。
ポケモンブームを振り返る
ゲームのポケモンは、前年から売上ランキングに長期間乗り続けていたのであるが、爆発的にブームが起こって一般知名度が激増したのは、やはり本年からスタートしたアニメの影響が大きいだろう。アニメ自体はもとより、関連商品などが世間に溢れたのでゲームに興味がない人の目にも触れるようになったのだ。
その一方で、社会現象やキャラクターとして扱われる一方で、一つの「作品」として取り上げられることの少なさ、より具体的にいえば幼稚な色物扱いされがちな傾向に、当時の高年齢層ファンの一人として歯がゆい思いをしてきた。ゲーム好きな人に勧めてもまともに取り合ってもらえないことが多くなった。このあたりはゲームファンよりもむしろアニメファンが感じるところが多かったかも知れない(僕は前述のようにアニメについてはアンチ寄りなのでよくわからないが、後年にファンサイトを巡っていたときにそのような意見を多く見た)。
当時の空気の傍証として、(発行年でいえば少し後になるのだが)例えばポケモンショック事件について扱った書籍『ポケモンの魔力』にて、他ならぬ糸井重里が「マリオは大人も遊んだけどポケモンは子供しか遊んでいない(単に子供向けという意味ではなく、共同体ありきのゲームであるという文脈)」と書いていたり、2000年に発行された業界本『ゲーム大国ニッポン神々の興亡』の中でも、ポケモンを含む携帯ゲームは一切触れられていない。
今でこそ『ポケモン』は日本を代表する世界的キャラクターブランドとなり、新作ゲームの発表ともなれば業界すべてが注目する一大イベントであることは揺るがなくなったのだが、90年代においては単なる流行り物の一つに過ぎず、ろくに顧みられていなかったという記憶を持つオールドファンは、多かれ少なかれ現在の扱いを複雑な思いで見届けているのではなかろうか。
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