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本とゲームのレビューと雑文が中心。

ポケモンの思い出 1996年編
あまり取り留めのない備忘録みたいなもの。場合によっては続きを書くかも。

概要


一人のプレイヤーつまり個人的な立場で「ポケモン」に関する思い出を振り返り、思い出したり記録を整理したりして文章化する。基本的に自分用のアウトプットだが、一つの「プレイヤー史」として、他の人が読んでもそれなりに楽しめるかも知れないことを期待している。過去の記事などとの重複もあるだろうが、あまり気にせずに独立した記事として書いていこうかと思う(可能な限り関連記事へのリンクは行うが)。

ポケットモンスター赤緑が発売されたのは僕が小学6年生の頃だった。これは、いわゆる「初代ポケモン世代」と呼ばれる年代よりやや高めであると思われる。そのため、当時の事情を比較的客観的に、それでいて当事者としても記述できるというのは割と貴重な属性だという自覚がある(同年代の人が同時期からプレイしていた話というのをあまり見ないので)。

というわけで、この記事では発売された1996年におけるポケモンに関する思い出を、ほぼ時系列順に振り返ってみることにする。

発売直後


当時ゲーム雑誌などはほとんどチェックしていなかったので、『ポケットモンスター』というタイトルを知ったのはテレビCMのはずである。夕方のアニメなどのCMとしてよく流れていた覚えがある。僕の第一印象は「変なCMだなぁ」程度だったのだが、2歳下の弟が強い興味を示して、後に発売日に赤版を買ってくることになる。

弟が遊ぶ傍ら、付属の説明書やらマップやらを読んでみた(弟はあまりこういうものは読まないタイプで、逆に僕は熟読するタイプである)。思ったよりも正統派のRPGであるらしいこと、CMでは単なる収集対象くらいにしか扱われていなかった「ポケモン」が普通の仲間キャラであることを知る。そしてポケモンはゲーム内に最大240匹も保有できる(30匹入るボックスが8つある、と説明書に明記されている)という規格外の数字に驚かされる。これは本気で「収集」をテーマにしたゲームなのだと。その他、第一印象で印象的だった部分は以前記事にまとめた通り。

付属マップでは、ハナダシティの北に生息するという「植物ポケモン」というカテゴリが印象に残った。説明書でも相性の3すくみの例として紹介されていた「草」タイプだが、従来のRPGではあまり大きく扱われていなかった種族だった(まして、種族としての定義ならまだしも攻撃属性としての設定はほぼ皆無)だけに、主要属性として扱われていたのが面白いなと思った。自分でプレイすることがあったらぜひ草タイプを育ててやろうと思った。

弟がプレイしていた頃の様子はあまり覚えていない。たまにレベル上げを手伝ったりはしたかも知れない。時間が合わなかったというのもあるのだろうが。もともと『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』を嗜んでいたこともあってか、特に苦戦せずに進んでいた(ヒトカゲを選んだが、タケシで苦戦していた記憶はない。関連記事:ミストドラゴンとタケシのイワークの狭間)。ぼんやり覚えているのは「サファリゾーンが1回きりだと思いこんでこまめにセーブしながら進んでいた」とか「波乗りを入手したのでクチバから海に出ようとして行き止まりにがっかりした」くらいである。

1週間ほどでエンディングに到達。このあたりから共同でプレイするようになった。弟は一軍のメンバーを育て、僕が図鑑を埋めるという分担だったと思う。まずは生息地をチェックして野生で出てくるものを捕まえて、進化については石を一通り試す。ゲーム内の情報(タマムシデパート)で「通信進化」という要素が存在することはわかっていたので、進化条件が不明な連中はとりあえず保留していた。

攻略本とか通信交換とか


春頃、本屋で攻略本を見つけたので購入。名作と名高い「ポケットモンスター図鑑(リンク先はレビュー記事)」である。想像以上に作り込まれた設定や、インタビューで明かされた製作者の思いに触れて、このゲームの大ファンになった。

この頃になると、弟の周囲でもプレイヤーが増えてきて、赤版には出ないポケモンだとか、最初に選ばなかったフシギダネとゼニガメ(「新規に始める友人がいたら交換と初期化を繰り返してもらう」という小技はすっかり浸透していたようだ)を交換でもらってきたりしていた。そいつらを育てるうちに、フシギバナやウツボットが使う「葉っぱカッター」のエフェクトと強さが気にいる。

中学1年生となった僕の周囲でも「ポケモン」の認知度は徐々に上がってきた。テレビCMもあるのだが、当時の大手ゲーム雑誌「ファミマガ」で大々的に扱われていたというのも大きいだろう。最初は「変なゲーム」「子供っぽい」のようなイメージが強かったのだが、次第に購入者が続出する。ある友人(かつてドラクエ3で戦士を賢者に転職させることを勧めていた)は雑誌の切り抜きを持ってきてくれて、裏技の開発をしたりしたものである(PPが負のオーバーフローを起こして上限が増える技は後に雑誌にも載ったが、その前に自力で見つけた)。

僕個人としても、入部した理科部のゲーム好きな連中に広めたりしたが、割と興味がくっきり分かれた印象がある。大まかに、プレイステーションやセガサターンといった非任天堂の次世代機や、アニメ『エヴァンゲリオン』が好きな人はポケモンと相性が悪く、逆にレトロゲーム好きには受けたような覚えがある。

ちなみに僕自身が自分用のカートリッジを購入したのは夏頃である。弟がゲームボーイポケットを買ったので、それまで兄弟で共用していた旧ゲームボーイは僕のものになった(ポケットは液晶のムラと、電池消耗の早さと、バッテリーランプが無いことが気に入らなかった)。通信ケーブルと変換コネクタももちろん購入し、通信プレイを楽しむようになった。

ミュウの公開とその反応


時系列的には前後するのだが、コロコロコミック5月号でミュウが発表されたときは衝撃的だった。コロコロを買ったのはこの時が初めてだったかも知れない。当然応募したのだが外れている(応募要項の「好きなポケモン」と「嫌いなポケモン」、及びその理由については「ギャラドス:弱いポケモンが進化で強くなるから」「ポリゴン:手に入れるのが大変なくせに弱い」と書いた覚え)。

さて、この時点では既にゲームをクリアしていたので、「ミュウのグラフィック(イラスト)を見る前に、ゲーム内(ポケモン屋敷の日記)でミュウの存在を知った」という、冷静に考えてみると割と貴重な体験をしている(もちろん、僕はゲーム内のテキストはしっかり読むタイプである)。ナンバー149のカイリューの次がミュウツーであることを見て、「あれ、ミュウツーはいるのにミュウはいないの?」と素朴な疑問を抱いたような記憶がある。

そういえば、この発表以後のことだが「図鑑を完成させると開発室でミュウがもらえる」という噂(というかただの願望だろうが)を聞いたことがある。もちろん聞いた瞬間に嘘だと決めつけた(ゲーム内で入手できたらプレゼントの意味がないだろ!)が、つまりミュウが公開された時点で、周囲で図鑑を完成させていた人が誰もいなかったということである。

ちなみに僕たち兄弟は、具体的にいつ頃だったか、また仲間内で一番最初かどうかは忘れたが、かなり早い段階で図鑑150種類を埋めたはずである。この時点では本体及びソフトは1つしかなかったので通信交換をフルに活用していた。最後のピースはサンダースだったことだけははっきり覚えている。当時はなんとも思わなかったのだが、「なぜ誰もサンダースを持っていなかったのか」という理由については、「当時は誰もがピカチュウ(ライチュウ)を入れていたからイーブイを電気タイプにする必要がなかったから」という結論に至った(このあたりの考察は以前長々と記事にした)。

バグ技や噂など


なお、ミュウの存在が公表された時点では、まだまだ「ミュウを出す技」は知られていなかったというのは記事にした通り。ただ、ファミマガ掲載のセレクト技からの派生だろうか、誰かしらが発見したやり方が次第に拡散していった。

その過程で「技を変化させる(まだ法則性はつかめなかったが)」や、「1回の戦闘でLv100にする」など、ゲームバランスを根底から破壊するようなバグ技が知られるようになり、ゲームへの熱が冷めかけた。バグ技でデータをめちゃくちゃにして遊んでいた連中も次第にポケモンから離れていった。秋頃だったと思うのだが、バグ技の普及によってゲームが壊されて、その余波でブームが終焉するのを肌で感じて寂しかった覚えがある。他のRPGと違って通信プレイが前提なので、「ゲームでできることの限界」というルールが失われた時点で、フェアに遊ぶことができなくなったと感じた(後に「セレクトバグ禁止」という自分ルールの制定と、それに同調する仲間も見つけられてまともに遊べるようになるのだが、そのあたりは翌年以降の話になる)。

この時期に聞いた妙な話。「あいつは月の石を10個以上持っている。Aボタンを連打しながら歩く癖があるから隠しアイテムをたくさん拾ってるんだ」と、友人(誰だか忘れた)が特定の同級生(確か直接の知り合いではなく名前も覚えていない)を指して言っていた。そのときは「へえ、このゲームにはそんなに隠しアイテムがあるのか。俺なんか4個くらいしか見てないぞ」と思ったのだが、仮に「10個以上持っている」というのが事実であれば確実にバグ技を使用しているはずだ。ただ、直接増殖したにしても「謎の店」で購入したにしても、当時自分はその手のバグを全く聞いたことがなかったので鵜呑みにするしかなかったのだが。

青版の発売


コロコロコミック12月号で青版が紹介され、通販の受付が始まった。続編ではなくこんな新作の展開もあるのか、と感心した。僕が特に魅力を感じたのは図鑑のテキストが一新されているという部分である(当時、文字情報のコンテンツに飢えていた)。ただ周囲の反応はいまひとつで、「ストーリーが同じだしミュウも出ないなら別にいらないじゃん」「パッケージのカメックスがダサい」といった意見を覚えている。

当然予約したのだが、ここでちょっと弟と揉める。「1つで十分」という僕に対して「2つ買おうぜ」と主張する弟。なぜ僕が1つで十分だと主張したのか。「2つも買うのは贅沢すぎる、兄弟で好きなタイミングで最初からやり直せるのはちょっとずるい」みたいな発想だった気がする。結果として2つ買うことになり、この判断は大正解(翌年には中古価格がかなり高騰していた)であり、今となっては笑い話なのだが。

2つの青版は、1つは僕のメインカートリッジとして、もう1つは共用のサブカートリッジとなった。もっとも当初は兄弟それぞれでサブ扱いだったと思うのだが、ある時期に当初のメインであった緑を紛失してしまったので、サブのつもりで始めた青を長らくメインとして使うことになる。たまたま適当につけた「タタミ」という主人公名に妙な愛着を抱いていたのを思い出す(なお、現役でプレイ中のゲームソフトを紛失するという経験は後にも先にもこの時しかなかったので盗難の可能性も疑っているのだが、容疑者に心当たりは一切ない)。

余談:ポケモンカードやその他グッズの思い出


また時系列的には前後する。僕自身はほとんど買った覚えがないのだが、弟がカードダス(杉森建による描き下ろしイラストが今となっては貴重なやつ)やらメタルフィギュア(モンスターボール型の消しゴムに入っているやつ)を少し買っていた覚えがある。今でも実家に眠っているかも知れない。ポケモンカードゲームも少なくともスターターを1箱買ったはずなのだが(記事)、あまり面白さが理解できないまま現在に至る。

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