『アイスクライマー』とか、『マリオブラザーズ』(注:スーパーマリオブラザーズではない)の2人プレイの話。
最初に書いておくが、僕はこれらのゲームをリアルタイムでプレイしたことはない(微妙に世代が違う)。ずっと後になってから移植版などに触った程度で、ゲーム自体への思い入れも特にない。ただ、このゲームを語る上で必ずと言っていいほど出てくるフレーズが昔からどうしても気になっていた。これらのタイトルをご存じの方ならなんとなく想像もつくだろう。「2人同時プレイは本来協力しあうものだが、相手をいかに蹴落として死なせるかという遊び方が盛り上がった」というものである。
ろくにプレイしたことのない僕が、なぜこのような一般的な感想に対して違和感を抱いていたのか、長らく理由がわからなかったのだが、最近になってようやく言語化できた。「遊びたいものを台無しにされた」という幼少期の思い出である。これはテレビゲームに限った話ではない。つまり「せっかく友達と一緒にこういう遊びをしたいと思っていたのに、全く別の遊び方をされた上で、(本来の遊びをしたかった)自分が疎外されて盛り上がられた時の気持ち」を思い起こしてしまうのだ。
具体的にどういうゲームで、またどういう相手のときにそう感じたのかは具体的には思い出せない。あるいは僕自身が台無しにする側だったということもあったと思う。誰しも子供の頃は、多かれ少なかれ似たような経験をしているのではなかろうか。
冒頭のゲームの話に戻すが、両タイトルとも同画面で2プレイヤーが同時に遊ぶことができる。面構成などは変わらないはずなので、例えば1人では対処しづらい反対側の敵を片付けてもらうなどして、1人よりも有利に進めることができる。自分1人だと○面までしか進めないけど、友達と一緒ならもっと先に進めるかも知れない。そういう思いで誘った友達が、協力そっちのけで蹴落としてきたら…挙げ句に「こっちのほうが面白いだろ?」などと楽しみ方を押し付けて来られたら…子供心に傷つくのではないかなと思う。
同時プレイでは、各プレイヤーごとに残機が設定される。片方の残機がなくなってゲームオーバーになると、残ったプレイヤーにより1人プレイと同様にゲームが進む。「対戦」に勝利した報酬はそれだけである。だったら最初から1人でプレイしろよ。なんのために一緒に遊んだんだよ!と僕なら憤る。
もちろん両者同意の上で「対戦」を楽しんだ例も多いだろう。しかしそのような思い出を持っている人であっても、相手が本当に自分と同じ気持ちで遊んでいたのか、改めて考えてみてはどうだろうか。プレイヤーですらなかった僕が想像を巡らして架空の子供を気遣うのは余計なおせっかいかも知れないが、「対戦」によって傷ついた子供もいたんじゃないかなぁと思ってしまうのだ。
家庭用ゲームにおける協力プレイは、やがて妨害ができない(せいぜい強化アイテムを過剰にとったりする程度で、積極的に行う意味がない)ようなシステムが主流になっていったと思う(『ツインビー』や『魂斗羅』など、コナミの得意分野だった)。さらに時代が進むと素材収集のための周回や、あるいはネットランキングといった要素が加わり、味方プレイヤーを意図的に妨害するような奴は最悪のクズであるという認識がすっかり定着している。いくら子供社会であってもそんな奴は仲間はずれにされるだろう。
さて、現代の『モンスターハンター』や『スプラトゥーン』などの協力型、あるいはチーム対戦型のゲームに馴染んだ子供に『アイスクライマー』等をやらせてみたら、自発的に「対戦」を行うという発想に至るのだろうか。少し興味がある。
ろくにプレイしたことのない僕が、なぜこのような一般的な感想に対して違和感を抱いていたのか、長らく理由がわからなかったのだが、最近になってようやく言語化できた。「遊びたいものを台無しにされた」という幼少期の思い出である。これはテレビゲームに限った話ではない。つまり「せっかく友達と一緒にこういう遊びをしたいと思っていたのに、全く別の遊び方をされた上で、(本来の遊びをしたかった)自分が疎外されて盛り上がられた時の気持ち」を思い起こしてしまうのだ。
具体的にどういうゲームで、またどういう相手のときにそう感じたのかは具体的には思い出せない。あるいは僕自身が台無しにする側だったということもあったと思う。誰しも子供の頃は、多かれ少なかれ似たような経験をしているのではなかろうか。
冒頭のゲームの話に戻すが、両タイトルとも同画面で2プレイヤーが同時に遊ぶことができる。面構成などは変わらないはずなので、例えば1人では対処しづらい反対側の敵を片付けてもらうなどして、1人よりも有利に進めることができる。自分1人だと○面までしか進めないけど、友達と一緒ならもっと先に進めるかも知れない。そういう思いで誘った友達が、協力そっちのけで蹴落としてきたら…挙げ句に「こっちのほうが面白いだろ?」などと楽しみ方を押し付けて来られたら…子供心に傷つくのではないかなと思う。
同時プレイでは、各プレイヤーごとに残機が設定される。片方の残機がなくなってゲームオーバーになると、残ったプレイヤーにより1人プレイと同様にゲームが進む。「対戦」に勝利した報酬はそれだけである。だったら最初から1人でプレイしろよ。なんのために一緒に遊んだんだよ!と僕なら憤る。
もちろん両者同意の上で「対戦」を楽しんだ例も多いだろう。しかしそのような思い出を持っている人であっても、相手が本当に自分と同じ気持ちで遊んでいたのか、改めて考えてみてはどうだろうか。プレイヤーですらなかった僕が想像を巡らして架空の子供を気遣うのは余計なおせっかいかも知れないが、「対戦」によって傷ついた子供もいたんじゃないかなぁと思ってしまうのだ。
家庭用ゲームにおける協力プレイは、やがて妨害ができない(せいぜい強化アイテムを過剰にとったりする程度で、積極的に行う意味がない)ようなシステムが主流になっていったと思う(『ツインビー』や『魂斗羅』など、コナミの得意分野だった)。さらに時代が進むと素材収集のための周回や、あるいはネットランキングといった要素が加わり、味方プレイヤーを意図的に妨害するような奴は最悪のクズであるという認識がすっかり定着している。いくら子供社会であってもそんな奴は仲間はずれにされるだろう。
さて、現代の『モンスターハンター』や『スプラトゥーン』などの協力型、あるいはチーム対戦型のゲームに馴染んだ子供に『アイスクライマー』等をやらせてみたら、自発的に「対戦」を行うという発想に至るのだろうか。少し興味がある。
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