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映画『天気の子』を語る
地上波放送で初見。面白かったですね。



以下、映画のネタバレを当然のように含む。また映画は1回しか見ていないので間違いとか思い違いがあるかも。
率直な感想としては、まず「いい意味で予想を裏切られた」ということ。予告映像などの印象から想像していたストーリーは以下のようなものだった。

  1. 主人公の少年(帆高)が、不思議な能力を持った少女(陽菜)と出会う。
  2. 少女は天気を操る力を持っていた!それを使ってちょっとした商売を始める。
  3. その力が、何らかの「組織」に気づかれてしまい、少女の争奪戦が繰り広げられる。
  4. 最終的に少女はその力を返上することで、天気に関する世界の仕組みをひっくり返し、「組織」の思惑を覆す。

一言で表せば現代日本版の『ラピュタ』みたいな話だと勘違いしていた。つまりシータがムスカ達に追われるように陽菜は何らかの組織に追われることになるが、最終的にバルス的な何かで(彼女が鍵になっていた)システムそのものを破壊して、普通の女の子になって日常に帰るような話だ。

映画をご覧になった方ならわかるように、上記で合っていたのは2までだった。確かに主人公たちは警察に追われたりしたが、それは家出少年や孤児を保護するという極めてまっとうな理由であり、本来は敵対するような存在ではない。陽菜の運命を決めるのは他の誰の強制でもなく彼女自身である。またその決定を覆すという主人公のエゴをいかに押し通すかという物語だった。

新海誠監督といえば「空」の描写に定評があるが、監督の十八番である「美しく晴れ渡った空」を「彼女がいない世界」というネガティブな文脈で使用したのも意表を突かれた感じである。

そして、主人公がどちらを選んでも同じような日常は戻ってこない。「彼女がいない、いつもどおりの東京」か、「彼女がいるが、雨に沈んだ東京」の2択であり、後者を選んで東京が水没したまま物語は幕を閉じてしまった。国民的な大作でこういうエンディングが許されるのか!と唸ってしまった。

いわゆる「彼女と世界を天秤にかける」セカイ系の文脈なのだが、彼女を選んでも世界は簡単に死んだりしない、むしろ水没を受け入れた上で相変わらず発展している東京を最後に見せることでセカイ系を克服した、などという論評を見た。僕はといえば、セカイ系自体があまりよくわからない(少なくともまともに読もうとしてこなかった)のでなんとも言えないのだが、エゴを通しつつも世界は世界でたくましく続いていくという、気持ちのいい終わり方であった。

(前作『君の名は。』の瀧くん達を出したのは絶妙な采配で、建築業界で働く瀧やテッシー達が、死ぬほど頑張って東京という街を生まれ変わらせたのだろうなと想像して涙が出てくる)

システム考察


作中のキーワードである「天気の子(天気の巫女)」とは一体どのような存在なのだろうか。少し考察してみる。

まず、前提として現在の東京周辺は非常に雨が多い場所であったということは間違いない。そこに定住するにあたり、天候を人間の都合に合わせて操作するために「天気の巫女」というシステムが生まれた(どのようにして生まれたのかは重要ではない。本作はファンタジーなので適当に考えればよい)。作中の陽菜がそうだったように、「天気の巫女」は雨だらけの地に晴れ間をもたらし、最終的にはその身を犠牲にすることで長期的な「普通の天気(人間の継続的な活動に適した環境)」を実現する。遅くとも古墳時代あたりには成立していたのではないかと思う。

ただし「普通の天気」を維持できる期間は有限で、しばらくすると再び雨だらけの土地に戻ってしまう。よって、人が住み続けるのならば(技術的に雨を克服できない限り)定期的に生け贄を捧げることが求められる。それは制度的なものなのか、(作中の陽菜がそうであったように)晴れを望む心から自発的に志願者が発生するようなものだったのかは不明。少なくとも現代では制度としては完全に忘れられていた模様である。過去にも何度か断絶があっても不思議ではない。

前回の「天気の巫女」はいつ生まれて消えていったのだろうか。作中の描写だけではなんともいえない。「観測史上最大の大雨」とというキーワードがあるが、日本で近代的な気象観測が行われたのは明治以降のようで、つまりそれ以降は「普通の天気」が続いていたことを意味する。しかし、そもそも「制度」が生きていたのであれば効果が切れる前に次の巫女を立てるはずである。作中では「制度が忘れられた上に、生け贄の効果も切れてしまった」という状況であり、それぞれがいつまで続いていたかというのは別の問題なのである。

「天気の巫女」になるため(また、現世に取り戻すため)の鍵である神社は、現代では代々木の廃ビル屋上にある。このビルのモデルである代々木会館は取り壊しが決まっていた(2020年に工事完了)ので、あえて監督は選んだのだろう。つまり、このビルが無くなってしまえばもう「天気の巫女」は生まれず、東京は雨に沈んだままになるというわけだ。もっとも神託かなにかで「復活」を目論む者がいるかも知れず、そのあたりは二次創作の余地にはなると思う。

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