ポケモン赤緑青を一通りクリアして、ポケモンリーグの周回が当たり前になってくると、敵の顔ぶれというのはすっかり頭に入ってしまう。そのため、一通りゲームを遊び尽くした後で「2周目」を開始すると、思わぬ気づきがある。「ライバルって最初はグラフィックが違ってたんだな」というのもそうだし、「こいつコラッタ(ラッタ)なんて使ってたんだ」というのもそうだ。もう少し注意深くプレイすると、他のポケモンは進化しつつも続投するのに対し、ラッタだけ途中でいなくなってしまうことに気づく。わかりやすく表にすると以下のようになる。
| 戦闘場所 | 使用ポケモン(主人公がフシギダネを選んだ場合) | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| オーキド研究所 | ヒトカゲ | |||||
| 22番道路(1回目) | ポッポ | ヒトカゲ | ||||
| 24番道路 | ピジョン | ケーシィ | コラッタ | リザード | ||
| サントアンヌ号 | ピジョン | ラッタ | ユンゲラー | リザード | ||
| ポケモンタワー | ピジョン | タマタマ | ギャラドス | ユンゲラー | リザード | |
| シルフカンパニー | ピジョット | タマタマ | ギャラドス | フーディン | リザードン | |
| 22番道路(2回目) | ピジョット | サイホーン | タマタマ | ギャラドス | フーディン | リザードン |
| ポケモンリーグ | ピジョット | フーディン | サイドン | ナッシー | ギャラドス | リザードン |
なお、ピカチュウ版ではラッタだけでなくオニスズメ→オニドリル(ポッポ枠)も最終的にいなくなる(シルフカンパニーでユンゲラーに入れ替わる)のだが、ポケモンタワーの時点でラッタがいなくなる点に変わりはない。
ラッタが姿を見せなくなるのは、こともあろうに墓地であるポケモンタワーである。しかも、普段は画面外から突然出現してくるのに対し、ここのライバルは主人公が隣接するまで気づかない。ゲームを通してプレイしてみると異質なポイントであることがわかる。
ポケモンタワーの時点でメンバーには空きがあるものの、タマタマとギャラドスが加入するので、この時点で6匹になるのは多すぎるから(ゲームバランス上の観点で)外されたという推測も可能だろう。しかし、逆にラッタを外してまで相性補完要員(表ではタマタマとギャラドス)を2匹同時に追加するのも不自然な気がする。また大事なポケモンが死んだにしては相変わらずの軽口であるが、これは虚勢を張っているだけとも受け取れる。つまりラッタは死んだとも死んでないとも、どうとでも解釈できるのである。
「ライバルのラッタ、もしかして死んだんじゃね?」という考察というか想像は、僕がインターネットに繋ぐ前(1997年ごろか)から耳にしたことがあるし話題にしたことがある気がする。少なくともゲーム上の描写を追いかける限り、死亡したことを否定する材料は何もない。
このラッタ死亡説だが、個人的には「ポケモンのゲームの中から読み取りうる物語」として、とても気に入っているのである。これは開発者が認めようが否定しようが関係なく、初代ポケモンのストーリーを丁寧に追いかけた上でそう考えるのはごく自然だと思うし、またゲームの世界観やコンセプトの上でも非常に重要な描写だと考えている。
当時のRPGでは、プレイヤーキャラが気安く死んだり生き返ったりするものが多かった。ポケモン以前でも、主に現代を舞台にしたRPGでは死亡を「気絶」などに置き換えた例がないわけではない(『MOTHER』『ごきんじょ冒険隊』等)が、数で言えば少数派である。それらの作品でも、世界設定の上で「死」の概念がないわけではない。
『ポケモン』においても、ゲームシステムの上で(プレイヤーの)ポケモンは死ぬことはないが、決して不死の生物ではないことは、例えばヒトカゲの図鑑説明文にもあるように序盤から示されている。ポケモンタワーという、墓地としては不自然に大掛かりなダンジョンを出したのもその一環だと思われる。そこに「いつもと違うライバルの様子」「以前はいたポケモンの消失(以降の物語でも今回が唯一である)」と来れば、やはり「死んでしまったのではないか」と想像して然るべきだと考えるのだ。
「(事故や病気によって)自分のポケモンが死んでしまう」という出来事は、同期の駆け出しであるライバルにすら起こりうる。架空とはいえ生き物を扱うゲームなのだ。世界の奥行きを味わう上で、せめてこのくらいの重みは受け止めてプレイすべきではないかと考える。
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