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【FF1】風は「止んだ」のか「病んだ」のか?
タイトルメッセージの解釈について。
ファイナルファンタジーの1作目(以下『FF1』)では、電源を入れた時に毎回ストーリーメッセージが流れる(ちなみにこれはファミコンで発売された3作で共通である)。その冒頭は以下のようになっている。

このせかいは あんこくにつつまれている
かぜはやみ うみはあれ だいちはくさっていく


このうち、「海は荒れ、大地は腐っていく」に関しては異論はないだろう。
問題は「風はやみ」の部分である。果たして風は止んだのか?病んだのか?

リメイク版(多分WSC版からだと思うが詳しく確認していない)で追加されたデモでは、「風はやみ」の部分で、蜃気楼の塔にかかった砂嵐エフェクトが消える。どうやら「風は止み」と解釈されているようだ。しかし、本当にそれでいいのか?

僕は「風は病み」のほうが正しいのではないかと思う。少なくともリメイク以前、ファミコンで『FF1』を発売していた当初はそういう設定だったはずである。なぜなら、ゲーム内のセリフなどでは風が止まった描写がないからだ。そもそも(主人公たちの乗り物のひとつである)帆船が動いているじゃないか!

また、水や大地のクリスタルの力がカオスによって遮られる(このあたりは作中に台詞がある、また火に関してはマリリスが覚醒前なので作中時点ではまだ影響がない)ことで、海は荒れて大地は腐っていくものの、水や大地が無くなるわけではない。あくまで性質が歪められているだけである。故に、風そのものが「止む」のではなく、「病む」と考えるほうが自然だと思われる。

なお、風が「病んだ」という描写もないのだが、例えばある種のモンスターは病んだ風の産物であるなどの想像は可能である。またティアマットの出現は400年も前なので、定命の人々にとっては「病んだ」風こそが当たり前となり、異常さに気づかなくても当然である。そもそも400年前に風という存在自体が無くなっていたら「風」という概念も人々から消えてしまうだろうから、「風の力が遮られた=風が止んだ」と解釈するのは矛盾だらけなのである。

さて、なぜリメイクでは「風は止み」と解釈されてしまったのか。おそらくは同シリーズである『FF5』の影響であろう。同作においてはオープニングで風のクリスタルが砕け散ってしまい、世界から風の力が失われるところから物語が始まる。故に、FF5の世界では帆船が使い物にならなくなってしまい、海竜シルドラや、火力(蒸気機関?)を動力源とする船が登場するのである。

『FF1』ではそのような描写はない。海が荒れて魚が獲れなくなったことをぼやく人物がオンラクにいるが、風がなくて船を出せないというセリフはない。設定上、風の力がティアマットに遮られたのは400年も昔だが、それでも海賊どもは帆船でアルディ海(コーネリアの内海)を荒らし回っているのである。

『FF1』のリメイク版は考証が雑な部分があり、例えば「浮遊城」の解釈においてゲーム内のメッセージと演出上の描写で明らかな矛盾が見られる。「宇宙にまで手を出した文明」による「星の海の浮かんだ」城だと明言されているにも関わらず、雲間に浮かぶ程度の高度にされてしまったのである(ティアマットが出現してからの400年の間に高度が下がったのかも知れないが、それでも4つのクリスタルの合流点を視認できる高さになければおかしい)。ファミコン版では黒い背景ではっきりと宇宙に浮かんでいる描写だった。

浮遊城の件と同様、「風はやみ」の解釈についても、リメイクにおける蛇足的な改変によって生じた矛盾の一つかも知れない。

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