そもそも僕はスマホでゲームをほとんどしない。毎日起動するのは『ポケモンGO』と『文豪とアルケミスト(文アル)』のみである。過去になんとなく触ってみたり、あるいは誘われたりしたゲームはあっても、継続してプレイしているのは2作品のみ。一応シリーズのファンであるポケモンはともかく、一般的に「女性向け」扱いされる本作をプレイし続けている理由は何か、文章化してみることにした。
もともと知人がプレイしており、文豪がモチーフということもあって興味だけはあった。ただこの手のゲームで長く続いたことはない(つまり面白いと思ったことがない)ので躊躇していた。それでも始めたきっかけは2019年10月に行われた『戦国BASARA』とのコラボイベントである。しもBASARA自体のファンというわけではなく、「コラボイベント中のゲストキャラ(今回の場合は伊達政宗と真田幸村)は疲労や損傷が自動回復するから今始めると序盤が楽」、純粋にゲーマー的な判断からである。
本来、Lv1のキャラ2人から始まる(ちなみに4人パーティ)ゲームに、Lv20のお助けキャラが2人も加わる。しかも損耗を気にせずに使い倒せるというのは極めて有利。本来ならば回復には時間やリソースが必要なのだ。コラボイベントはもちろん通常クエストにおいても存分に活用させていただいた(ゲストに経験値を吸われるのは不利だが、それ以上に戦闘効率が上がるメリットが大きい)。
(この手のコラボは2018年秋にも『鋼の錬金術師』で行っており、今年もやるかも知れない)
当時の日記を見ると、コラボが終わる頃には一般キャラをそれぞれLv10くらいまで育てていたようだ。以降も継続的にプレイしている。魅力に思った点は以下の通り。
一言で言えば類似作品と比べて極めてシンプルなのが良い。成長は経験値によるレベルアップと、汎用素材による「開花(スキルツリー式の能力強化)」のみ。カスタマイズ要素は「装像」と呼ばれる装飾品を1人につき1つ装備するのみ。合成や進化といったややこしい要素もない。装像についてもそれ自体に経験値などの要素はなく、「同種のものを重ねることで3段階に強化できる」という極めてシンプルなもの。あとは「指環」というクラスチェンジの要素があるが、基本的にやりこみというかファンサービスの要素(成長すると「手紙」が読める)が強い。
職業に相当するのは「武器種」だが、これも4種類のみで全てアタッカー。攻撃のタイミングや範囲、対象選択のルーチンが異なるだけである。クエスト中の操作は完全にオート(プレイヤーの介入は途中で撤退を選ぶのみ)であり、ゲーム全体を通して考える要素が少ない。空いた時間にちょっと遊ぶ程度の気楽なゲームを求めるならこれくらいでちょうどいいと思う。
さらに、キャラやアイテムの保有数に上限がない。そもそもアイテムの種類自体が限られる上に、同一キャラは1体しか仲間にできない仕様である。「枠数」不足を解消するために課金が必要だったり、増えすぎたキャラやアイテムの管理に嫌気が差したという話を聞くが、本作に関してはそんな心配は無用である。
他にも、レア度によるキャラの格差が実質ないのも好みである(そもそも現実の存在をモチーフにしたキャラをレア度で格付けすること自体があまり好きじゃないんだけど)。
「女性向け」とのことだが、ノンケ男性がプレイしても違和感ない。プレイヤー(ゲーム内で姿は出ないが「司書」と呼ばれる)に対して恋愛感情を持ったりしないし、キャラ同士がいわゆる「BL」的な関係になることもない。もちろん(史実に基づく)友情や師弟愛は見られるが、同性愛的な描写は匂わせることすら丁寧に避けているように見える。まあ男性の立場で見ると、モブ含めて女性キャラが皆無(一部の敵キャラが女性型というくらい)なのは少し寂しい気はするが。
キャラクターについて僕が評価しているのは、数十名の文豪たちのデザインを全て単一のイラストレーターが手掛けていること(参考)。しかも声優が全て別人(期間限定のコラボキャラが偶然被ったくらい)。例外として装像に外部イラストレーターをたまに起用する程度である。このため、どの場面を切り取っても絵としての統一感があり、違和感なくプレイできるのだ。例えば、同じDMMの大御所である『刀剣乱舞』は画風の違いが激しすぎて受け付けなかった(特定の画風への好き嫌いではなく、統一感が無いことが問題)。
個人的に特に「推し」と言えるキャラはいないが、地元(現住所)出身の文豪である伊藤左千夫には思い入れがある(はわわ系幼女みたいになってるのは謎だが)し、関係性という意味では宮沢賢治周辺の詩人たちの人間模様が好きである(草野心平の実装は嬉しかった)。
問題点もないわけではない。今のところどうしても納得できないのが「言の葉」イベントである。端的に言えば「レベルが低いほど有利なイベント」であり、「効率的にイベントをこなすためには意図的にレベルを抑えたキャラを用意する必要がある」という点だ(レベルが高いと報酬が増えるが突破率が下がり、しかも失敗して被弾した時の回復コストは増えるので、それならば低レベルのキャラのみで組んだほうが有利という話)。
前述のように同キャラは1体しか保有できない仕様なので、イベント専用のキャラを別枠で確保しておくというテクニックも使えない。このため、何人かの文豪はイベントのためだけに成長を抑制しなければならない。非常に窮屈である。本来なら肯定されるべき「レベルアップ」が不利に繋がってしまうのは非常にまずいゲームデザインである。
これでも開催ごとにマシになっているようだが、根本的な部分は2020年8月の「歯車」イベントでもそのままであった。何度か要望(難易度を選択性にする等)を送っているので、いずれ改善されるかも知れない。
今までこの手のジャンルを敬遠してきた理由の一つに、「条件によってキャラが永遠に失われる(同キャラの再加入はできるが、今までの育成などは失われる)」という、『艦これ』以来当たり前になってきたシステムへの強い抵抗があった。キャラロスト自体が悪いのではなく、サービスが継続する限りエンドレスに続くオンラインゲームにおいて、長期間の育成を無に帰してしまうシステムは極めて相性が悪いと思うのだ。
実際にプレイしてみると、(少なくとも本作に関しては)キャラロストの可能性がある場面では必ず撤退の選択肢が出現し、しかもロストするリスクを押してまで進行することへのリターンが極めて薄いことから、よほどの操作ミスでもない限りロストすることはあり得ないということに気づいた。
例えば家庭用RPGである『ウィザードリィ』のようにリスクとリターンを天秤にかけさせるものではなく、プレイヤーに対して最低限の注意喚起を求めたり、キャラに対する思い入れを持って欲しいという意図がある、つまり所詮フレーバー過ぎないシステムのようだ。それでもプレイヤーのミスに対するペナルティとしてはあまりにも重大に見えるので、あまり流行ってほしくなかったシステムである。
始めたきっかけ
もともと知人がプレイしており、文豪がモチーフということもあって興味だけはあった。ただこの手のゲームで長く続いたことはない(つまり面白いと思ったことがない)ので躊躇していた。それでも始めたきっかけは2019年10月に行われた『戦国BASARA』とのコラボイベントである。しもBASARA自体のファンというわけではなく、「コラボイベント中のゲストキャラ(今回の場合は伊達政宗と真田幸村)は疲労や損傷が自動回復するから今始めると序盤が楽」、純粋にゲーマー的な判断からである。
本来、Lv1のキャラ2人から始まる(ちなみに4人パーティ)ゲームに、Lv20のお助けキャラが2人も加わる。しかも損耗を気にせずに使い倒せるというのは極めて有利。本来ならば回復には時間やリソースが必要なのだ。コラボイベントはもちろん通常クエストにおいても存分に活用させていただいた(ゲストに経験値を吸われるのは不利だが、それ以上に戦闘効率が上がるメリットが大きい)。
(この手のコラボは2018年秋にも『鋼の錬金術師』で行っており、今年もやるかも知れない)
当時の日記を見ると、コラボが終わる頃には一般キャラをそれぞれLv10くらいまで育てていたようだ。以降も継続的にプレイしている。魅力に思った点は以下の通り。
システム面の魅力
一言で言えば類似作品と比べて極めてシンプルなのが良い。成長は経験値によるレベルアップと、汎用素材による「開花(スキルツリー式の能力強化)」のみ。カスタマイズ要素は「装像」と呼ばれる装飾品を1人につき1つ装備するのみ。合成や進化といったややこしい要素もない。装像についてもそれ自体に経験値などの要素はなく、「同種のものを重ねることで3段階に強化できる」という極めてシンプルなもの。あとは「指環」というクラスチェンジの要素があるが、基本的にやりこみというかファンサービスの要素(成長すると「手紙」が読める)が強い。
職業に相当するのは「武器種」だが、これも4種類のみで全てアタッカー。攻撃のタイミングや範囲、対象選択のルーチンが異なるだけである。クエスト中の操作は完全にオート(プレイヤーの介入は途中で撤退を選ぶのみ)であり、ゲーム全体を通して考える要素が少ない。空いた時間にちょっと遊ぶ程度の気楽なゲームを求めるならこれくらいでちょうどいいと思う。
さらに、キャラやアイテムの保有数に上限がない。そもそもアイテムの種類自体が限られる上に、同一キャラは1体しか仲間にできない仕様である。「枠数」不足を解消するために課金が必要だったり、増えすぎたキャラやアイテムの管理に嫌気が差したという話を聞くが、本作に関してはそんな心配は無用である。
他にも、レア度によるキャラの格差が実質ないのも好みである(そもそも現実の存在をモチーフにしたキャラをレア度で格付けすること自体があまり好きじゃないんだけど)。
フレーバー面の魅力
「女性向け」とのことだが、ノンケ男性がプレイしても違和感ない。プレイヤー(ゲーム内で姿は出ないが「司書」と呼ばれる)に対して恋愛感情を持ったりしないし、キャラ同士がいわゆる「BL」的な関係になることもない。もちろん(史実に基づく)友情や師弟愛は見られるが、同性愛的な描写は匂わせることすら丁寧に避けているように見える。まあ男性の立場で見ると、モブ含めて女性キャラが皆無(一部の敵キャラが女性型というくらい)なのは少し寂しい気はするが。
キャラクターについて僕が評価しているのは、数十名の文豪たちのデザインを全て単一のイラストレーターが手掛けていること(参考)。しかも声優が全て別人(期間限定のコラボキャラが偶然被ったくらい)。例外として装像に外部イラストレーターをたまに起用する程度である。このため、どの場面を切り取っても絵としての統一感があり、違和感なくプレイできるのだ。例えば、同じDMMの大御所である『刀剣乱舞』は画風の違いが激しすぎて受け付けなかった(特定の画風への好き嫌いではなく、統一感が無いことが問題)。
個人的に特に「推し」と言えるキャラはいないが、地元(現住所)出身の文豪である伊藤左千夫には思い入れがある(はわわ系幼女みたいになってるのは謎だが)し、関係性という意味では宮沢賢治周辺の詩人たちの人間模様が好きである(草野心平の実装は嬉しかった)。
問題点
問題点もないわけではない。今のところどうしても納得できないのが「言の葉」イベントである。端的に言えば「レベルが低いほど有利なイベント」であり、「効率的にイベントをこなすためには意図的にレベルを抑えたキャラを用意する必要がある」という点だ(レベルが高いと報酬が増えるが突破率が下がり、しかも失敗して被弾した時の回復コストは増えるので、それならば低レベルのキャラのみで組んだほうが有利という話)。
前述のように同キャラは1体しか保有できない仕様なので、イベント専用のキャラを別枠で確保しておくというテクニックも使えない。このため、何人かの文豪はイベントのためだけに成長を抑制しなければならない。非常に窮屈である。本来なら肯定されるべき「レベルアップ」が不利に繋がってしまうのは非常にまずいゲームデザインである。
これでも開催ごとにマシになっているようだが、根本的な部分は2020年8月の「歯車」イベントでもそのままであった。何度か要望(難易度を選択性にする等)を送っているので、いずれ改善されるかも知れない。
余談:オンラインゲームにおけるキャラロストについて
今までこの手のジャンルを敬遠してきた理由の一つに、「条件によってキャラが永遠に失われる(同キャラの再加入はできるが、今までの育成などは失われる)」という、『艦これ』以来当たり前になってきたシステムへの強い抵抗があった。キャラロスト自体が悪いのではなく、サービスが継続する限りエンドレスに続くオンラインゲームにおいて、長期間の育成を無に帰してしまうシステムは極めて相性が悪いと思うのだ。
実際にプレイしてみると、(少なくとも本作に関しては)キャラロストの可能性がある場面では必ず撤退の選択肢が出現し、しかもロストするリスクを押してまで進行することへのリターンが極めて薄いことから、よほどの操作ミスでもない限りロストすることはあり得ないということに気づいた。
例えば家庭用RPGである『ウィザードリィ』のようにリスクとリターンを天秤にかけさせるものではなく、プレイヤーに対して最低限の注意喚起を求めたり、キャラに対する思い入れを持って欲しいという意図がある、つまり所詮フレーバー過ぎないシステムのようだ。それでもプレイヤーのミスに対するペナルティとしてはあまりにも重大に見えるので、あまり流行ってほしくなかったシステムである。
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