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RPGと悲劇の話
和製CRPGの二本柱となった『ドラゴンクエスト』及び『ファイナルファンタジー』(以下それぞれ「DQ1」「FF1」)。現代の視点から見たそれらの1作目に見られる大きな特徴は「悲劇に頼らない」という点である。
DQ1及びFF1は「悲劇に頼らない」シナリオである。より具体的には、全ての悲劇はゲーム開始より過去に起こったことであり、プレイヤーがゲームを進めていく過程が新たな悲劇の引き金になるという展開が皆無なのである。

例えば、プレイヤーの目の前で誰かが死ぬことは無い。苦労して勝利した成果を黒幕にさらわれることもない。プレイヤーの行動が引き金となって世界がより不幸になるということもない。すべては結末に向かって、事態は少しずつ良い方向に転じていくのである。
(DQ1については「ゴーレム撃破はメルキド市民にとっての不幸では?」という指摘があるかも知れないが、ゴーレムがメルキドを守っていたという設定は実はゲーム内では直接語られておらず、いかようにも解釈できるようになっている。)
(FF1についても「リッチ撃破がマリリスの覚醒に繋がった」ことが登場人物の口から語られるのだが、クリスタルの力を遮るカオスとしていずれ倒すべき相手には違いないし、目覚めたマリリスについても特に悪事を働く間もなく倒される運命にある。)

しかし「プレイヤーの行動が悲劇に繋がる」展開は、いつしかRPGではごく当たり前のものになってしまった。最終的にはハッピーエンドで終わる場合でも、短期的あるいは局所的な悲劇というのは非常に多く見られる。FFシリーズでは2以降は乱発されるし、DQシリーズでも3から徐々に増えていく。奪われるための秘宝、殺されるための登場人物、壊されるための町(時には大陸だったり世界そのもののことすらある)などの要素が存在しないシナリオの方が珍しいと言ってもよい。ある程度RPGに慣れてくると「あーこいつ死ぬな」だの「これ大ボスが出てきてかっさらうパターンだな」だののように、悲劇を予想するという楽しみもあるが所詮は邪道。主人公に感情移入して楽しむという本来のスタイルからすると辛い展開である。

後の2シリーズの展開を見る限り、悲劇の無いシナリオは必ずも意図したものではなく、セリフやマップに費やせるデータ容量が限られていたゆえの偶然の産物だったのかも知れない。しかし悲劇に慣れた目から見れば、初期作のシナリオは独特の安心感や充実感をもたらしてくれることに気づく。物語を作るクリエイターは、そうでない人よりもストーリーの刺激に対する感受性が鈍くなるという話を聞いたことがある。同シリーズを初めとして、RPGが好きだったがいつしか苦手になったという人は、単にゲームシステムやプレイ時間の問題だけでなく過激化するシナリオに嫌気がさしたという例も決して少なくないのではないだろうか。

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