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「1996年発売のRPG」としてのポケットモンスター
当時のRPGという文脈で『ポケモン』(以下、二重カッコ付の場合は「作品としてのポケットモンスター」を意味する)を語る。『ポケモン』以前のRPGに詳しくなかったり、そもそも『ポケモン』以外のRPGを知らない人にこそ読んで欲しい。

以前に書いた「初代ポケモンがRPGとして斬新だった点」と重なる部分はあるが、あちらがリアルタイムで触れた時の主観的な印象なのに対し、こちらはある程度ゲームに詳しくなった今の自分が客観的に分析したものである。

主人公が非戦闘員


これは非常に画期的だった。RPGにおいて主人公はプレイヤーの分身であると同時に、戦闘においては主戦力であるというのは不文律であった。主人公が強い理由にストーリーや設定上の裏付けすら無い例すらも少なくなかった。主人公が戦力にならないどころか戦闘にすら参加しないゲームというのは、メインストリームには存在しなかったと言っても良い。

中には『ウィザードリィ』のように、主人公の概念が存在しないゲームもあった。しかしあちらはプレイヤー=メタ視点であり、『ポケモン』のように「キャラクター化された主人公」が存在する上で戦闘には一切参加しないというパターンは、少なくともポケモン以前のRPGでは聞いたことがない。

もちろんこれには大きな意味がある。ストーリーの進行役(主人公)と戦闘要員(ポケモン)を切り離すことで、ポケモンたちの自由な移動を可能にした。主人公は必要や好みに応じて自由にポケモンを入れ替え、あるいは他のプレイヤーと交換することができるのである。シナリオの都合による強制加入や離脱といった、固有キャラが加入するタイプのRPGにはまず不可欠だったイベントと無縁のシナリオを実現することができた。

装備品の概念の廃止


こちらも衝撃的だった。序盤においては資金をやりくりして買い替えのタイミングに悩み、中盤以降は印象的なイベントによって、あるいは敵からのランダムドロップによって入手した強力な装備品に酔いしれるというのがRPGの醍醐味だと思っていた人は決して少なくないはずだ。

また「ポケモンは道具を持っていない」という点により、戦闘によるアイテムドロップの概念をなくしたのも大きな飛躍だと思う。アイテムドロップはレアアイテム獲得の可能性により射幸心を刺激するのみならず、リソースの補助供給手段(典型的には、序盤のモンスターが頻繁に回復アイテムを落としたり、毒を使うモンスターが毒消し用アイテムを落とすようなケース)としてRPGの常識になっていた要素の一つであり、それをなくしたのは思い切った判断だろう。

ついでに、ポケモンはお金も持っていない。一般的なRPGのモンスターとは異なりポケモンは資産や資源の収奪対象ではなく、基本的なお金の獲得手段は「賞金」であるという、このゲームの世界設定を構築する上でも大きな効果があった。

技の習得制限


このゲームには「通常攻撃」は存在しない。敵に対する行動は、すべてが使用回数の定められた「技」によって行う。まずはこの点でも異例と言える。本作に先行するGBを代表するRPGの『SaGa』シリーズでも、コマンドとしては原則として使用回数のある武器や特技のみ使用可能で、その影響を見ることができる。

ポケモンは4つしか技を覚えられない。一度に使える技や魔法、あるいはより上位のコマンド数に制限があるRPGというのは当時から珍しくはなかった。しかしポケモンの場合は、自力で覚える技だけでも習得数の上限に達し、しかも忘れたり諦めたりした技は原則として再習得の手段がない(技マシンは例外的なケースと言える)。

当時、最初に違和感を覚えたのはこの点だったように記憶している。また本作を友人に勧めた時も技についての不満をつぶやく例が多かった気がする。「もっと技を覚えられればちゃんとしたゲームになるのに」という声さえ聞いた。

技という戦闘中の行動選択肢を絞ることで、特に通信対戦における行動の幅を絞って、いくら強くても決して万能にしないという効果があるというのは今なら十分理解ができるが、やはり当時は面食らっても仕方ない要素である。

不可逆な選択肢


上記の技に限らず、プレイヤーに対して不可逆な選択を迫る要素は多い。ゲームの早い段階から、プレイヤーに対して不可逆な選択肢を突きつけるのである。最初に5つ目の技を覚えるのは大体オツキミ山を攻略する頃だろうか。その頃には「(使い捨てであると説明されている)技マシンを誰に使うか」「2つの化石のどちらを選ぶか」といった選択も迫られプレイヤーを悩ませる。

ゲーム雑誌のインタビューでは「選択を間違えたのでゲームをやり直した」という声も複数見られた。やり直したのならまだ良いほうで、ここでゲームを切ってしまったプレイヤーも少なくなかったのではないかと思う。恐らくゲーフリとしてもRPGのセオリー崩しとして賛否を見込んだ要素だと思うのだが、そうまでしてもプレイヤーごとの「何を仲間にするか」「どんな技を覚えさせるか」という部分には個性が出るようにしたかったのだろうと思う。

異様に多いキャラクターストレージ


装備の概念が無かったり技を4つしか覚えないのはきっと容量のせいだ!と早合点したプレイヤーを困惑させる要素。手持ち+預かりボックス+育て屋で、計247匹のポケモンを1つのデータに保有することができる(言うまでもないが、本当に247匹を集めてしまうとメンバーチェンジが不可能になるので現実的には200匹強が限度である)。選択肢によって仲間にできなくなるポケモンはいても、それ以外の野生ポケモンなどなら実質無制限に近い数を仲間にできるのだ。

この数は据置機のRPGと比較してすら異例であり、『ポケモン』以後、もっと言えば各種フォロワーゲームにおいてすら、(仲間自体は無制限に増やせるにも関わらず)これを遥かに下回る数のキャラクターしか保有できないケースも少なくない。上記の装備品の概念が無いこと、技の習得制限と合わせると、製作者がプレイヤーに対してどのように遊んでほしいと思っているのかが見えてくる。

ゲーム内からは見えない開発秘話として、仲間にできるポケモンの数を「ニックネームを付けられる30匹」にするか「ニックネームを付けられない100匹」にするかという選択を迫られたという話が有名である。結果としてバッテリーバックアップRAMの容量が激増することで、ニックネームを付けた上で240匹を仲間にすることが可能となったのだ(余談だが、預かりボックスが30匹単位なのは当時の名残であろう。また切り替え時にセーブが必要なのは、選択中以外のボックスにいるポケモンは一時メモリに収まらず、セーブデータ領域に退避させる必要があるためである)。

セーブデータは1つのみ


多くの家庭用ゲーム機のRPGでは、家族でセーブデータを共有するためだったり、シナリオの岐路におけるバックアップなどのために複数のセーブデータを保存できるのが一般的だった。RAMの容量が据置機と比べて限られているはずの携帯機ですらその傾向は変わらない。ゲームカートリッジに搭載できるRAMの容量というのは技術の進化で増えていく傾向にあったので、セーブデータが1つのみという例も以前は珍しくなかった。しかし1996年のゲームとしてはかなり異例だったはずである。

理由を考えれば、セーブデータが複数あることによるデータコピーを防ぐためというのはすぐわかる。さらに、データを1つに絞ることでRAMの容量をフル活用できるという強みもあるだろう。この点もゲームデザイン上の要因が強く影響していると言える。

ただでさえ不可逆の選択肢が多い『ポケモン』というゲームにおいて、セーブデータのバックアップができないことはマイナスに繋がるのだろうか。否。「通信交換」を使うことで、選択肢の結果を入れ替えたり、あるいは両取りしてしまうことも不可能では無くなる。基本は他のプレイヤーとの交換にしても、本体とソフトさえ2つ揃えてしまえばゲームの世界を好きなタイミングで行き来することも可能になる。今まで諦めてきたものが全て手に入るというのは、ちょっとした後ろめたさをも内包した独特の快感だった。

(以下、気が向いたら続く)

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