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一兵卒の底力 (『ドラゴンクエスト』シリーズ論)
ドラゴンクエスト5(以下「DQ5」)のピピンというキャラクターから読み解く、本作ひいてはDQシリーズ通しての人間観。

基本的にシリーズをプレイ済みである前提で話を進める。固有名詞などは特に説明せず、ネタバレにも配慮しない。
また、ピピン対して全く新しい個性を与えられたリメイク版の内容については特に扱わないことにする(特に矛盾は無いので、リメイク版のみの経験者でも問題なく読めるはずである)。
DQ5には「ピピン」というキャラクターがいる。加入するタイミングはシナリオの後半、自分の子供たちとの対面を果たした後である。よほどひねくれたプレイヤーでもない限りこのタイミングで双子をパーティに加えるだろう。メンバー枠には限りがあるので、元々いた仲間モンスター(この時点では、欠員がいなければ主人公+モンスター7匹のはずである)の誰を外すかに悩まされる。多くのプレイヤーは、ルイーダの酒場で子供たちを加入させようとするタイミングで初めて「ピピン」の名前を見たと思われる。

同じタイミングで加入可能になるサンチョは、父の忠臣であり使用人として主人公とも幼い頃から関わりがある。しかしピピンに関してはグランバニアの宿屋の息子であるという以上の背景は持たず、さらにそれすらもこまめに情報収集をしていないと気付かない。確かに以前に話かけたが忘れてしまったという人も少なくないはず。仲間に加えたところで強いわけでもなく、ごく平凡な能力値と装備。外見さえも兵士の汎用グラフィックである。戦力的にもロールプレイ的にも、加えるメリットがまず見出せない。

一応、育ててみればHPと力が全キャラ中トップタイまで成長し、「メタルキングの剣」「吹雪の剣」などの最強クラスの武器を装備できる。他の能力も決して低くない。白兵戦においては伝説の勇者と比べてなんら遜色はなくなる。しかしこれはピピンだけの特権ではなく、ゲーム全般を通して活躍するスライムナイト(ピピンと比べると、呪文や耐性面含めてほぼ上位互換ともいえる)他、多くの仲間モンスターにも言える(主人公に関しては、残念ながら吹雪の剣を装備できないので対単体では1歩劣る)。まして彼らのように呪文を使えるわけでもない。パーティは8枠で、そのうち戦闘に出せるのは3人までなので、攻撃要員は多いほどいいというわけにはいかないのだ。

ではなぜこのようなキャラが、ただでさえ容量の少ない時代のゲームに入れられたのだろうか。恐らくそれは、本作における「一般人」枠ではないかと考える(同じく臣下であるサンチョに関しては謎の多いキャラで、元モンスター説まであるので例外とする)。DQシリーズといえば選ばれた英雄による物語というイメージが強いかもしれないが、改めてシナリオを振り返ると、その特別な英雄は必ず相対化されている。

DQ1では勇者として旅立った(そして二度と帰らなかった)者は何人もいたとラダトームの町の兵士が語っており、主人公もその1人に過ぎない。ロトの子孫であるという客観的な証拠もないまま、実力で目的を達成して「ロトの勇者」と呼ばれ、さらにゲームで描かれないその後の物語では、アレフガルド大陸より遥かに広大な「世界の半分(ムーンブルク・サマルトリア・ローレシアの領土を合わせればだいたいそのくらいだろう)」を自力で切り開いて自らのものとする。出自不明の青年が腕一本でのし上がるサクセスストーリーだ。

DQ2のパーティメンバーはそんな彼の子孫であり、それぞれが一国の嗣子である。しかし、まず主人公からして勇者の末裔でありながら呪文ひとつ使えない不完全な者として設定されている。さらに命からがら辿り着いたダンジョンの奥地に当たり前のように兵士がいたりするので、主人公一行が特別に強い存在というわけではない。勇者の末裔の王族といえども普通の人間なのである。

DQ3に至っては主人公である勇者は英雄オルテガの息子だが、彼もまた普通の人間であり、ましてバラモス討伐の任務には失敗している。そして仲間達は酒場でスカウトした正真正銘の一般人だ。勇者という肩書きや、その能力の由来に関しては一考の余地はある(父からの遺伝というわけでもなさそうだが)が、一般人と比べて極端に優れた者ではない。実際、勇者には使えない呪文だっていくらでもあるのだ。

DQ4は「天空の勇者」がシナリオの鍵を握り、サブタイトルも「導かれし者たち」だが、その人選は多様。国王直属の戦士、一国の姫とその従者といった上流階級だけでなく、商人やジプシーといった(中世ヨーロッパ的な価値観では)卑しい身分ともされる人々すら含む(実際、トルネコは作中でも面と向かって「下賎の者」呼ばわりされる)。

DQ5では、主人公の父パパスはグランバニア王であると同時に屈強な戦士でもあり、放浪の身でありながら主人公は王国の正統後継者として認知されていた。母マーサはエルヘブンの神の民である。妻は天空の勇者の末裔で、2人の子供たちはまさに血統的にはスーパーエリートだ。そんな家族達と肩を並べて戦える存在、それもモンスターとは別に、あくまで人間の一兵卒を、ゲームとしての必然性を度外視してまで限られたROMの中にねじ込んだのはよほどの理由があるのだろう。

「選ばれし英雄」がDQシリーズの表のテーマなら、裏のテーマは「英雄と共に戦う一般人」かも知れない。後のシリーズでも、主人公の特別性を相対化させるかのように、仲間となるキャラには普通の人間がいる(特にDQ9では、天使である主人公と、酒場スカウトの人間キャラが全く同性能になっている)。主人公よりもむしろ後者のキャラに感情移入する人も、特に年のいったプレイヤーの中には少なくないのではなかろうか。

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