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学校におけるコンピュータ教育の思い出
ファミコンと同じ年に生まれた世代が見た、学校教育の中のコンピュータについて覚え書き。別の場所で書いた内容と被る部分も多いだろうが、ブログ記事としては初のまとめになる。

小学校時代


僕は千葉県流山市の古い町に生まれ、そのまま地元の市立小学校に入学した。パソコン教育が始まったのは小学3年生の頃である。近隣の学校の中でも特に早く「コンピュータ室」が設置され、先進的な教育だとして話題になっていたことを覚えている。機種はおそらくPC-88の系統だろう。電源を入れると例の音がする。まだハードディスクは搭載されておらず、起動する度にフロッピーディスクを挿入する必要があった。

今にして思うと、精密機器であるパソコンをかなり慎重に扱っていたと思う。授業の前はみんなで手洗いをしたことを何となく覚えている。コンピュータ室も配線の関係で床が高くなっている等のかなり仰々しい作りで(これは古い構造の教室を強引に改装したという事情もあるのだろうが)、上履きを脱いで上がっていた。エアコンがあるのは校内ではここと保健室のみで、真新しい内装の匂いとともに子供ながらに未来的な空気を感じ取っていた。

特にコンピュータを使う授業は設定されておらず、クラスごとに月に1度か2度「学級活動」の時間を割り振って利用するという形だった。本体は20台くらいであり、大抵は2人で1台を共有して使っていた。個人用のフロッピーも貸し与えられたと思う。後の話になるが、6年生の末期は授業ですることも無くなり、空いた時間でパソコン授業(といっても、各自が勝手にやりたいことをするという形)をすることも多かった。授業の他にも週1のクラブ活動に「コンピュータクラブ」があり人気だった。

使うソフトは主に2つ。日本語による簡易的なプログラミングができる『ロゴライター2』と、マウスによるお絵かきやワープロ・表計算機能などを備えた(専らお絵かきしか使っていなかったが)の『ハイパーキューブ』である。後に、より児童向けのインターフェイスを備えた『オーサーノート』なるお絵かきソフトも導入されたりもしたが、こちらは子供っぽくてあまり好きになれなかった。『ハイパーキューブ』は基本的に大人向けのビジネスソフトだったのでギャップがあったのだ。

僕のお気に入りは『ロゴライター2』。基本的には「亀」と呼ばれる自キャラに命令を出して図形描画をさせたりするのだが、プログラム実行中にリアルタイムで「亀」を動かすようにもでき、障害物や一定の法則に従って動くキャラを配置して簡単なアクションゲームを作ることもできた。もっともフレームレートは非常に荒く、当たり判定がガバガバではあったが。当時の力作は、UFOを操作してランダムに降ってくる隕石を避けて得点を競うゲームである。被弾時は爆発とともに「トッカータとフーガ ニ短調」のイントロ(嘉門達夫が「鼻から牛乳」の歌詞を付けて当時流行っていた)が流れるというギミックが受けた。

後に自宅でもEPSON製の88互換機を購入し(相変わらずHDは無かった)、学校にあるソフトを片っ端からコピーして持ってきた覚えがある。どういうルートか知らないがゲームソフトも(無論オリジナルではなく何代もコピーを重ねたものだろうが)あった。無論、授業で使うソフトに関しては全て正規版だったはずだけれど。FDDのみで簡単にコピーできる「光速コピー」というソフトが重宝されていた(ぐぐってみると全国的な知名度は小さそうだが)。

中学校時代


僕はそのまま市内の中学校に進学した。新たに「技術家庭」の授業枠が用意され、パソコンはこの時間に割り当てられたが、実際にパソコン授業を行う頻度は小学校より減ったように思う。

環境は小学校の頃とほぼ同じ。まだWindowsも入っておらず、HDDも無かったはずだ。使うソフトはもっぱら『ハイパーキューブ』。ただし小学校の頃とは違い、ワープロや表計算機能も使用した。とはいえ、ほとんどの生徒はタイピングすらままならないので大した授業は出来なかったと思うけれど。ハイパーキューブの集大成的な授業として「様々な家具の画像データを切り貼り・着色して『理想の部屋』を作る」「家具には値段が設定されているので、総費用を表計算にまとめる」「その部屋を紹介する文をワープロで作る」なんてことをやった覚えがある。

なお、コンピュータ室とは別に、当時所属していた理科部でも1台の88だか98機を所持していた(こちらはWin3.1あたりが入っていたと思う)。普通の生徒は立ち入らない(実質的に理科部の部室になっていた)理科準備室に設置されており、有志がBASICでプログラムを組んだり、クイズゲーム「ごたくどす」で遊んだり問題を作ったりしていた。

学校のパソコンでは大したことが出来なかったが、当時通っていた塾のパソコンを私物化してインターネット接続していたという思い出がある。これについてはまた別の機会に語ろう。

高校生時代


流山市の東隣りにある柏市の某県立高校に進学。なんと、生徒がパソコンに触れる機会が一切なかった。授業も部活も一切無し!!当時の柏市は見かけ上は栄えていたが、IT教育に関しては完全に流山市に後塵を拝していた未開の地であったと断言しても良いだろう(煽っていくスタイル)。一応、図書館には蔵書管理用のPCが設置してあったような気はするが。なお「情報」の授業が必修化されたのは僕が卒業した次の年であるらしい。

この頃は全国的に(小中高はもちろん大でも)教育にインターネットが取り入れられ始めたちょうどその時期なので、たまたま高校の都合でIT教育の空白期間になってしまったのは少し残念。「インターネットで調べよう」系の授業を受ける機会があれば大暴れできたのになー、なんて。他にもパソコン部があれば所属して、自己流の行き当たりばったりではなく基礎からサイト作りを学べたかも知れない。まあ今となっては過去の話ではある。

高校入学後に自宅のPCを88からAT互換機に買い換え、インターネットを開始した。従来のソフトは使えなくなってしまったが、既に関心はインターネットという新しい世界に完全に移っていたと思う。

大学生時代


都内の某私立大に進学。ここではパソコンは学習や発表の手段の一つとして当たり前のように使われていた。エクセルやパワーポイントは基本的な知識として入学直後に教えられたと思う。インターネットも自由に繋げ(ただし席に限りはあったが)、学生番号によるID管理で個人用のデータ保存領域も割り振られていた。

もっとも、このあたりは同世代ならば似たり寄ったりだとは思うので詳しくは語らない。何といっても地域差が激しく、話として面白いのは小中学校の頃だろう。当時はパソコン教育を受けた人自体が少ないので、先に挙げたソフトの話題がいまいち通じない事が多いのが寂しくもある。

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