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なぜポケモンのゲームに宿屋は無いのか?
オーレ地方にあるじゃないか、等といきなり話の腰を折るのはやめてね。
「ポケモン」のゲームには宿屋が存在しない。考えてみればこれは奇妙なことである。ダンジョン内で完結したり、あるいは自宅や居城を中心に進行するタイプのシナリオならいざ知らず、町々を渡り歩いて旅をするようなRPGであれば、宿屋に泊まったり、あるいはテントを張って野宿をして体力等を回復させるといった要素がほぼ確実に存在する。一般に、宿泊無しでゲームを進めるのは不可能でないとしてもコスト面などで非常に困難なので、どんなに荒っぽいプレイヤーでも定期的に宿をとらせることになる。大抵のRPGにおいて、プレイヤーキャラの定期的な休息というのはシステム的にもフレイバー的にもごく自然な形で取り込まれている。

しかし「ポケモン」にはそれがない。モンスターボールに入ったポケモン達についてはポケモンセンターで回復するとして、主人公は一体どこで休んでいるのだろうか。確かに自宅などでは休めるが、敢えてそうしない限りはプレイヤーの前で休むことはしない。ポケモンが何十回も休んでるにも関わらず、主人公は不眠不休で動き続けるという状況も自然なプレイとして起こりうる。また、ゲーム内にもわざわざイベントすら入っていない旅館を出しているので、あの世界でも旅先で宿泊するというのはごく当たり前なのだろう。しかし主人公は休めない。

ここで書籍「田尻智 ポケモンを創った男」を開いてみよう。開発資料のラフスケッチには宿屋は確かに存在している。ロビーにいる大人のトレーナーに混じり、10歳くらいの少年が受付で記帳をしている。部屋では人間はベッドで睡眠、ポケモンは据え付けの回復装置でボールごと休ませるという設定のようだ。考えてみればポケモンが休むのなら人間も一緒に休もうと考えるのは当たり前で、実際にアニメ版でもポケモンセンターには宿泊施設が備えられていたはずだ。

では、なぜ実際のゲームではプレイヤーの宿泊という設定をオミットしたのか。単純に容量の都合や、頻繁に利用する回復施設のテンポを良くするためなど、純粋にシステム上の都合と考える事もできるが、本当にそれだけだろうか。バランスの都合上ポケモンセンターは無料にしたから宿泊は不自然?いやそれなら回復装置を無料で使える事だって不自然だ。本来は主人公が宿泊するべき場面を敢えてカットしたのは、その事自体に理由があるはずだ。

ここで、「ポケモン(とりわけ初代)」のゲームの中に「あるはずなのに無い」ものを考えてみよう。まずは「主人公の父親」。タマムシデパートのゲーム売場でのメッセージを見る限り主人公にとって身近な存在であるはずの父親だが、ゲーム内では姿を見せず、そのことに言及もされない。そして「学校」。トレーナー塾のようなものはあっても一般的な教育機関は無い。しかし短パン小僧などのセリフでは「学校」のようなものが存在することは明らかである。また「夜」も無い。外はいつまでも明るく、人々は野外で活動しているし店も開いている。いつまでも昼間のようだ。

結論から言おう。初代「ポケモン」のゲームで描かれていたのは小学生の放課後から夕飯までの時間、である。関係者の発言として直接見聞きしたわけではないがそうとしか思えない。もっともそれはゲームというフィルターを通して抽象化されてはいる。行く必要のない学校は無い。まだ仕事から帰ってきていない父親もいない。友達と遊んだり野山を探検したりして自由に遊ぶ。ゲームという夢の世界なので、不思議な生き物と出会ったり大事件に巻き込まれたりもするが、日が暮れたら家に帰るのが約束。電源を切ると、画面の向こうで主人公は母の待つ家に帰り、次の日の放課後には冒険の続きをするのだ。プレイヤーがゲームを通じて見られるのは、永遠に終わらない幸せな夕焼け空である。

…もっとも以上のようなイメージは色々な説明を省けるゲームだからこそ成り立つのであって、世界設定をちゃんと考えるとそうは言ってられない。アニメ脚本の首藤氏がまず苦戦したのはそこであるはずで、10歳の子供が親元を離れて冒険をするための合理的な設定として「あの世界では10歳で小学校を卒業すると旅に出ることが許される」という設定を作り出した。当然日帰りで済むような旅ではないので、ポケモンセンターの中に宿屋が「復活」する。姿を見せない父親は旅から帰ってこないということにされる。以上のような設定が与えられたため、主人公は幸せな夕焼け空で遊ぶのは許されなくなり、厳しい旅に向き合わなくてはならなくなった。その是非はここでは問わないし、長編シリーズにするならそうするしか無かったのではあろうが。

ゲームのほうでも、アニメの余波を受けたのか独自に発展したのかは定かではないが、金銀以降にリアルタイム連動要素を入れたことで、曖昧だった世界の時間を動かしてしまった。主人公は日をまたいで大冒険をしていることにされてしまったのである。それにしてもこの時計連動という要素は、どう足掻いても不自然な部分ばかりが目立つ(夜でも大抵の人の行動が変わらない、リアルタイム=ゲーム内時間なので移動が一瞬で行われることになる等)ので、純粋にゲームシステムとしてならまだしも雰囲気を味わう上では大きなマイナス要素だと個人的には思っている。

初代「ポケモン」に以降のシリーズには無い雰囲気を感じるのだとしたら、その最大の要因は「止まった」時間、いや世界設定を歪な形にしてまで「止められた」時間である。その中では誰もが、少年少女時代の夕焼け空の下で遊ぶことができるのだ。

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ポケットのなかにファンタジー
主人公の年齢が上げられたり(BW以降)
露骨に中二病向けの描写が増えたり(BW以降)
「小学生の夢の時間」が失われているといっても過言では無さそうです、今のポケモンは。

妖怪をデザインするために小学生達の悩みをリサーチしたジバニャンを見習って欲しいです。
揺れない震源餅 | URL | 2016/02/06/Sat 23:00 [編集]
いくら塾や習い事が増えても、子供にとっての放課後は特別な時間。
そして放課後とは妖怪が跋扈する「黄昏時」をも含む。
妖怪ウォッチは良く知らないけど、そのへんは無関係ではないのかも知れませんね。
かける | URL | 2016/02/06/Sat 23:19 [編集]
「宿屋がない」「夜がない」点について関係者のコメントが掲載された書籍があったのですが、こちらの記事における考察とほぼドンピシャでした。

畠山けんじ・久保雅一『ポケモン・ストーリー』(日経BP、2000)p.316より、吉川兆治氏(アニメプロデューサー)の発言
「(前略)で、なんで宿屋にしないでポケモンセンターって呼ぶんだっていうのがあったんです。そうしたら、田尻さんは、あれは少年の夏の日の1日なんだっておっしゃったんですね。(中略)自分が子供の頃、夕暮れになると非常に淋しくなった。夜になるのが非常に悲しい。遊んでた時間が、永遠に続けばいいのにって思うんですよ。それをポケモンで表現したかったって言うんですね。だからあれは、実は夜がないんですね」

金銀で時間帯の概念が加わったのは個人的には世界が広がった感があって好きなのですが、ずっと外にいるNPCなど初代ではさほど気にならなかった点が不自然に感じてしまうというデメリットも確かにありますね。
takanori | URL | 2016/02/27/Sat 15:01 [編集]
「夏」に限らず、もっと曖昧な時期設定にしたいですね。

個人的には3学期末、ほとんどの授業が終わった(すなわち宿題もない)頃の土曜日(まだ完全に週休二日ではなく、半ドンがあった)の放課後が最高に幸せなイメージです。ちょうどポケモンに始めて触れたのもその頃ですし。
かける | URL | 2016/02/27/Sat 17:20 [編集]
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