本とゲームのレビューと雑文が中心。

『ウィザードリィ』語り
このブログでも関連作品についていくつか語ってきたが、シリーズとの関わりそのものをつらつらと。
僕にとってのウィザードリィの最も古い記憶は90年代の前半頃。レンタルした『ファミコンパーフェクトビデオ』にて、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーと共にRPG3大タイトルとして紹介されたのを聞いた時だ。DQとFFについては良く知っていたが、ウィザードリィとは当時小学生の僕にとっては全く知らないタイトルだった。もっとも、それまでもゲーム屋の陳列棚では幾度となく目にしていたかも知れないが、タイトルとして意識することは皆無だったはずだ。ただし、ビデオを見た段階ではタイトルこそ記憶したものの、ゲーム内容に興味を持つことは無かった。それが元々海外のゲームで、DQなどより古い起源を持つことすら知らなかった。

そういう経緯なので、僕は日本におけるWizの主力ファン層、恐らく中高生あたりでヒッポンを読んでいた世代よりは幾分か若いと思う。周囲でもWizが話題になる機会は皆無で、中学生になる頃には存在すら忘れかけていただろう。再び興味を抱くようになったのは、高校に入ってインターネットを使えるようになった頃である。当時レトロゲームに興味があった僕は暇さえあればネット上のサイトを見たり、あるいは自分からネタを振ったりしていた。そのような中で「CRPGの始祖(もちろん今ではこれは正しくない事は知っているが、当時はそのような認識が支配的だった)」たるWizの名前を目にし、概要を何となく把握する流れはごく自然であっただろう。

とはいえ、慣れない3Dダンジョンゲームで、中古屋でも低価格で買える代物でも無い。何となく興味は持ったものの手に取ることは無かった。なお高校時代のWiz絡みの思い出としては、偶然にも部活の合宿先である山荘に漫画版のWizが置いてあり(確か石垣環氏のものだったと思う)せっかくだから手に取ってみたのだが、あまり時間も無いので(合宿まで来て一人で漫画を読むこともなかろう)軽く流し読む程度で、ゲームそのものを知らない僕を引き込ませるには至らなかったようだ。再びWizを意識するのは大学受験を控えた頃。通っていた学習塾の近くに古本屋があり、そこで『ウィザードリィのすべて』との運命的な出会いを果たす。こんな凄い攻略本があったのか!すぐに購入した、と言いたいところだが、実際は懐事情などもあって何度かの立ち読みを経て購入(誰かに買われなくて本当に良かった!)。実際にゲームで遊んでみたくなったが、あいにく当時はGBC版DQ3のメダル集めで忙しかったので、とりあえず受験が終わってからということにした。

当時は今よりも個人のゲーム屋が元気な時代で、数件巡ることでファミコン版『狂王の試練場』を納得のいく価格で手に入れることができた。既に攻略本は読み尽くしていたが、せめて攻略中は封印し自力でマッピング、ついでにリセットも封印するプレイに挑戦してみた。難易度に関しては正直「覚悟してたほどではない」と感じた。もちろん事前に攻略本でアイテムの強弱関係を把握していた(そうでもなければ、「剣」より値段の高い「フレイル」を戦士に装備させたりしてたことは間違いない)というのもあるが、恐れていた「ロスト」の脅威がそれほどでも無かった事である。全滅でもしなければまずロストはせず、全滅する前に救助隊を派遣することでリスクはかなり軽減できるのだ。なおシナリオ1に関しては、最初に「やられた!」と思ったのは4階のテレポーターでフロア西部の無限回廊に落ち込んだ時である。

そんなわけで、ノーリセットゆえの堅実なプレイで無事にワードナを撃破した。人によってはここからのアイテム収集やレベル上げに熱中するようだが、僕の場合はそれよりも新たな冒険を求めた。狙うのはもちろんファミコン版の2と3だが、その前にターボファイルによる転送を試したくなった。入手困難かと思われたが、大学進学して行動範囲が飛躍的に伸びた僕にとっては、さほど苦労もせずに発見できる対象だった。2はクリアアイテムの持ち帰りで、3はSP開放によってがんがんレベルが上がるのが楽しく、特に意味もなくレベルを上げまくっていたと思う。

ファミコン版以上に熱中したのがGB版の外伝だ。特に1は長時間プレイした。「転成の書」の入手に苦労したというのもあるがゲームバランスが好きだった。外伝2も決して悪くないが、個人的には種族・職業固定の最強装備の存在がどうも引っかかった。そもそも下級職に成長速度以外のメリットを設定するのが何となく好きになれなかった。ゲームバランス自体は良かったし、黄泉界の演出も好きなだけに、そこだけが残念だ。

ゲーム屋と平行して古本屋(中古ゲーム屋を兼ねる事も多い)も巡り、当時の関連書籍を買い集めていった。当時はまだまだプレミア価格なども無く安く購入できた。特に強烈なインパクトを受けたのは矢野徹氏の『ウィザードリィ日記』で、ここまで自由に想像力を働かせても良いのかと感嘆した。ネットで評判のベニー松山氏を初めとするヒッポン組の本も当然集めたし、ログアウト冒険文庫の短編集なども集めた。『風よ。龍に届いているか』は見つけられなかったが、絶妙なタイミングで復刊された。Wiz関連の書物で新刊購入したのは後にも先にもこの本のみである。(ちなみに『砂の王』も当時は見つからなかった。後に『アラビアの夜の種族』を経て原作を手に取ったのだが、これについてはまた別の機会に語る)。

こうして、大学生活の序盤はWizフィーバーに冒されていたのだが、冷めるのも早かった。直接のきっかけは外伝3やGBC版の出来がいまいちだったというのがあるかも知れない。しかし実際はそれ以上に、Wizという文脈に慣れてしまって、未プレイの作品といえどもかつてのような緊張や興奮を得られなくなっていたという理由が大きいと思う。それから10年以上にもなるが、移植版なども含めてウィザードリィのゲームにはほとんど触っていない。小説を読み返したり、開発の経緯を調べたり等、作品自体への興味は未だに残っているにも関わらず。

僕のゲーマー人生の中で、ウィザードリィのプレイヤーだった時期はごく短かったかも知れないが、その影響は大きかった。直接的・間接的問わず、Wizが無ければ知り得なかった知識も多いだろう。今、そしてこれからも、僕にとってのWizは「過去」に属する作品であり続けるだろうが、それを通じて触れることの出来る世界というのはこれからも僕を惹きつけるのだろう。

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