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『メタルマックス』のイメージ
自分の中での『メタルマックス』の世界のイメージと、公式を含めた世間一般のそれとは乖離があるようなので覚え書き程度に。もしくはレビュー未満の何か。
(基本的にファミコン版1作目の話がメイン)
まず自分がメタルマックスを知ったのは1995年頃、従兄に勧められて貸してもらったのがきっかけである。それまでは全く知らないタイトルであった上に、説明書も無く裸カートリッジで借りたので、背景ストーリーもゲーム内で情報収集しながら把握した。既にPS・SSの次世代機に話題が集中していたが、ファミコンにしてはかなり秀逸なグラフィックや音楽であり、インターフェイスも含めてプレイしていて全く古くささは感じなかった。

システム面の秀逸さは敢えて述べないが、他に感心したのは戦闘中のグラフィックである。たとえは味方や敵が砲撃すると、ちゃんとドット絵の砲塔の部分から弾が発射される!固定化されたドット絵と動的なエフェクトがここまで融合している例はあまり見たことがなかったので(特に当時からグラフィックに定評のあったファイナルファンタジーですら!)、そういう部分まで凝っているのは丁寧な仕事ぶりだと子供ながらに感心したものだ(後に、『ポケモン(赤緑)』の敵側のギャラドスの破壊光線でも同じような感動を覚えた)。また、戦車に限ったことだが装備によってステータス画面の外観がちゃんと変わるというのも斬新だった。ファミコン版は黒地に白のシンプルな線画だが、これがまた格好いいんだ。敵側のドット絵としては、限られたパレットを青系に統一することで強烈な存在感を醸し出す(そしてそれを裏切らない強さを誇る)ビックキャノンや、敵キャラの表示領域を完全に埋めるというゲーム史上稀に見る表現のサイバーウォールがお気に入り。

ちなみに説明書無しでプレイしていたので、戦車を牽引できることにかなり長いこと気づかず、シャシーが大破した戦車は乗り捨てるしかないと思っていた。ダンジョンに潜る時などは事前にセーブして慎重にプレイしていたっけ。

さてそろそろ冒頭の話に移る。当時僕はメタルマックスが全く知らなかったということは既に述べたが、本作に多大な影響を与えたと言われる(そもそもタイトルからして)『マッドマックス』や、『北斗の拳』については全く知らなかったのだ(現代のオタクからすると後者に関しては不思議に思うかも知れないが、当時はリバイバルもメディアミックスも無く、当時の小学生以下にとっては『北斗の拳』空白期間だったのだ)。そういうわけで、本作に対して「退廃的な近未来」というイメージは全くといっていいほど抱かなかったのだ!

そりゃ過去に大災害があったらしく、東京タワーを初めとした文明は過去のものにはなっている。しかし戦車の修理ドックは稼働し、兵器や薬品類も十分な量が流通している(ここで「発掘されたロストテクノロジーの産物が流通している」という発想には至らなかった)。稼働している工場もあるし、しかもその工場の廃棄物を監視する自然保護団体のようなものまでいる。世界には森や草原も多く、もちろん農耕も行われている。町の外は危険なモンスターが跋扈してはいるが、町の中はモンスターどころかならず者すらいない(荒くれ者はいるが、悪い奴のようには見えない)。治安とインフラ(民家には家電があり、Dr.ミンチの存在や転送装置から電気は確実にある。戦車のガソリンを気にする描写がないほど燃料供給も十分らしい)の行き届いた世界だ。

オードリーでは確かに不良との戦闘はある。しかしお互いにダメージらしいダメージの発生しない平和な喧嘩である(もっともこれはパラメータ調整の妙なのだが、生身の人間があのような極端な防御力とそれに見合わない低い攻撃力を持つとは思えず、「お互いに軽いもみ合い程度である」ことを表現するための設定だと解釈した)。ユゲの町を一時的に占拠したワルゲリョは、あの世界では賞金首としてすら扱われない小物である。主人公が手を下さずとも有志のハンター(下手するとトレーダー)が行きがけの駄賃で始末する程度の存在だろう。

ストーリーとしてはビッグキャノンを破壊することで一時的に平和を乱すことになるが(もっともゲーム内にはそれを懸念するセリフ以外の描写はないが)、それによって世界を広げて「敵」の根元を滅ぼすことで真の平和を取り戻すという物語はファンタジーの王道だし、大破壊(これには環境破壊や戦争などの、現代の世界における諸問題を内包した社会派ストーリーでもある)を乗り越えた人類にはより明るい未来が待っている!みたいな、正統派の希望を感じされるエンディングだと感じた。

なんだか書きたいことを書いたら無駄に長くなったが、以上が僕の持つ『メタルマックス』の世界のイメージであり、今後は誰が何と言おうと根本的な部分では変わらないと思う。公式もしくは一般ファンのイメージとはギャップがあるのは間違いない。そのギャップがあったからこそ、1作目から遅れること数年後にプレイした『2』に違和感があったのだろう。今後のシリーズ展開もチェックはしているものの、多分まともにプレイすることはないんだろうなーとは思う(でもシリーズ復活の嚆矢となった「砂塵の鎖」はちょっとやりたいと思ってたりする)。

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