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書評:ジュブナイル
ドラえもんの嘘最終回が元ネタ。荒削りだが王道のタイムパラドックスもの。

「ドラえもんの最終回」として話題になったファン創作がある。ドラえもんの故障から話が始まって、やがて誕生の秘密が明かされる、という例のアレ。それにインスピレーションを受けて制作されたのが同名の映画であり、本書は監督自身によるノベライズである。ちなみにブログ主は映画は未見(そのうち見るかも)。

元ネタのほうは所詮パロディ同人であり、根幹となる設定からして強引さがあったのだが、こちらは「時間移動に耐えられるのは非生物のみ」という設定のおかげで納得の行く展開。さらに、ドラえもんで言うところの「大長編」からの流れで例のエピソードに持っていくので盛り上がりも倍増。また、少年3人と少女1人という人員構成こそ同じだが、その性格や役割は全く異なる。特に主人公の親友にしてライバルという存在が非常に大きい。

このように、元の「素材」を「加工」するセンスはあるのだが、その「料理」の仕方がまずすぎるのがもったいない。まず倍角フォントや「うわああああああ」みたいなセリフを使うスタイルをどうにかしろと思った。「~した。~した。~した。」のようなぶつ切れの文章が続く場面も多い。これがサウンドノベルだったら、エフェクトやタイミングの調節と相性が良さそうではある。しかし紙媒体でやられたら台無しだ。正統派の小説として勝負して欲しかった。

SFとしての詰めの甘さも気になる。小学生の活躍に地球の運命がかかっていたり、物質転送や時間移動などのオーバーテクノロジーのような「大きな嘘」は大いに結構。だがあまりにもご都合主義な宇宙人の行動原理(なんで生きてちゃまずい人間を仮死状態で放置するだけなの?とか)、小道具の考証の甘さ(液体窒素とか)のような「小さい嘘」は御法度である。

プロット自体は冒険SFとして王道中の王道。好きな女の子に対する甘酸っぱい感情も良かった。改造生物を乗り物や道具として使う宇宙人というのも面白い。プロのSF作家が文章や細かい設定のまずさをリメイクすれば素直に名作と呼べるものになると思う。しかし荒削りな素人臭さもまたこの作品の魅力の一つなのかも知れない。

関連リンク:監督(作者)インタビュー

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