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雑文:ハメハメハ島の文化人類学
童謡「南の島のハメハメハ」で歌われている、「誰でも名前がハメハメハ」な社会を真面目に解釈する。

(以下妄想注意)
きっかけは、チャットにて「名前という概念が無い社会」についての話題が出たこと。ブログ主の頭の中に真っ先に浮かんだのは「南の島のハメハメハ大王」の歌詞だった。

今さら説明するまでもないが「南の島のハメハメハ」とは、王も女王も王子も島民たちも、あらゆる人々の名前が「ハメハメハ」だという内容の歌。南国の人たちの大らかさや、うがった見方をすれば未開さを歌った呑気な歌詞である。

では、ここで歌われているように、「誰もが皆『ハメハメハ』という名前」の社会は実際に成り立つだろうか。それを考えるには、まず「名前」とは何なのかを理解する必要がある。人間がそれぞれ固有の名前が与えられる目的とは、端的に言えばその人間を他人と識別するためである。逆に言えば「名前」以外の概念で他人との識別が出来れば、必ずしも個別の「名前」は必要ないと言うことになる。

では、その概念とは一体何か。考えられるのは「役割」と「続柄」であろう。日本人ですら、例えば「八百屋の次男坊」のような表現は近所のコミュニティで通用する。また、日本人の名字でも「役割(職業)」に由来するものはたくさんあるし、名前にしたって「一郎」「二郎」などは本来は生まれた順番を意味している。ハメハメハ島とは「役割」と「続柄」を意味する単語が非常に発達し、その組み合わせだけで個人を識別する呼び名が成り立ってる社会ではないだろうか。

では「ハメハメハ」という「名前」は何なのか。これ恐らく「人間」とか人称名詞とか、転じて「民族名」を意味するようになる単語だと思われる。外部から来た人と以下のようなやりとりがあったと推測される。

外人「あなたの名前は何か?」
島民「『名前』とは何だ?」
外人「あなたの事を呼ぶのに使う言葉だ」
島民「私は 【エビの追い込み漁をする者】の【3人目の妻から2番目に生まれた子】だ」
(【】内の言葉は、原語ではごく短い一次名詞である)
外人「それは『名前』ではない。あなたを呼ぶ事にだけ使われる言葉があるだろう」
島民「ならば『ハメハメハ』だ。しかし『ハメハメハ』で無い者はこの島にいないよ」
外人「誰の名前も『ハメハメハ』か。覚えやすいがややこしい人達だ」

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